昨日へ     2005年12月15日   明日へ

今日は、エルパーク仙台で、「続・しゃべり場」をする日です。僕は、一時間休暇を取って、家に戻り、電車で仙台に向かいます。

「しゃべり場」の前に、人と会い、いろいろお話。人に感謝されることもありますが、僕が失敗をしてしまい、謝ったりすることもあります。人間の暮らしをしていると、失敗することもあるのです。人の気持ちは、とても強くそしてとても弱いもの。めげるときは、めげます。善かれと思って活動しても、それはそのまま伝わるとは限らないもの。僕は、いつまでたっても不完全ですから、失敗をしない人にはきっとなれないです。けれども、一つ一つの失敗・出来事を、どこかに蓄積し、「経験豊かな人」になっていきたいと思っています。...「経験豊かな」というのも、「完全に経験豊か」ということができないので、これまた果てしない人生ですなー。

さて、「続・しゃべり場」です。11月24日にやったものの、続編です。ジェンダーフリーを基調としつつも、個人が一人ひとりの言葉を交わし合う貴重な時間でした。しゃべり足りない人もきっといるだろうからと、設定した今日でした。前回は、50名以上でしたが、さすがに今回はコンパクト(13名)でした。しかしながら、参加者全員にお話してもらうことができたので、よかったですよ。呼ばれたい名前で自己紹介してもらい、いろいろと心に残る話を聴くことができました。

小学生のとき、あだ名で呼ばれるのが嫌で、みんなを呼び捨てで呼んでいたら、担任がそれをよくないこととし、「さん」の強制があったこと。...学校教員としてみれば、昨今もあるのではないかと感じられるエピソードです。「自由」も「平等」も、自らの気持ちと離れたところで、誰かに強いられるものでは、きっとないものですからね。

青年が「子どものときに良いと言われていたことが、大人の社会では違うと言われる」と話していました。職場という「組織」「大人社会」でのことです。頷きながら、聴きつつも、あわてずあきらめずに、自分を生きていくこと、エールを贈りましたよ。僕は、もう「青年」ではないのですが、「正しさ」や「よさ」などを、あきらめたくないです。年齢や制度・システムのせいにもしたくないので、それはそれは面倒くさいのですが、「正しさ」や「良さ」そして「自由」をますま追求していくのです。

また、もう名前も顔も10年以上知っていて、いろいろお話する機会がある方の、いわば身の上話を聞き、聞かせてもらわないと分からないことって、いっぱいあるんだなーと驚きました。自分の回りにいる人、一緒に過ごしている人、よく理解しているつもり人、家族・兄弟・恋人・同僚...。聞かないと分からないことがあります。話さないと分かってもらえないことがあります。「理解」というのは、「平和」のように、目指すものであり、どこかの時点で到達されるものではありません。逆に考えるなら、「誤解」がいつも付き物です。でも、それを恐れずに、互いに「理解」し合うことを、やっぱり追求していくもんだよなー。そんなことを考えさせられた今日でした。感謝感謝です。

写真は、今日あったクラブ発表会での1枚。音楽クラブは、がんばりました!

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