昨日へ     2005年12月23日   明日へ

「平和」という言葉をあまり僕は使いません。使いづらいんです。

「平和」って到達目標みたいに、若い頃思っていました。ある日「平和」がやって来て、みんな「幸せ」になる...みたいなイメージです。「戦争」の反対が「平和」というイメージ。あなたは、どう思いますか?

この頃の僕は、思っています。「平和」は「幸せ」と一緒で、ある形をしてはやってこないのです。誰にも同じように確かめられるものじゃないんです。いつまで経っても「平和」はやってこない。でも、それはもう既にそこにあったりするんです。素敵な瞬間、そこに「平和」はあるんです。でも、それは努力しないと萎んでしまう。また、見えない人には見えないかもしれません。尊いものほど、それは目に見えなくて、しかも儚いです。

しかし、「平和」を追求する日々が放棄されては、きっと「幸せ」にならない。「欲しがりません、勝つまでは」のように、「平和」が来るまで、飽くなき努力を重ね、我慢をし続けるのは、きっと違っていて、毎日常に「平和」を追求するのだと思っています。しかしながらそれは、まさに「日常」の中のこと。「社会」とか「政治」とか「専門」とか、そういう「枠」でくくられた話じゃなくて、今へんだなと思うことに、素直に「へんだよ」ということ。今失敗したことに「ごめんなさい」と言えること、今すっごーい!と感動したことを誰かにもおすそ分けしようとすること。なんか、そんな感じなのです。「平和」は、すぐそばにあるし、すぐそばから作って行くもんなんだと思います。しかも、今すぐに。

昨日、温泉で、ふと浮かんだ言葉は「けんかはいっぱいあっていい。でも、戦争は一つもいらない」。「けんか」と「戦争」は、違うんだな。「けんか」には「自分」があるんだけど、「戦争」には「国家」「組織」しかない。けんかが一つもない世界は、きっと寒いだろうな。赤ちゃんの泣き声が一つもしなくなったら、世の中は凍りついているだろうな。全ての人が、全員笑顔だったら、僕はきっと心を傷つけているだろうな。そんなこと、思ったのでした。

写真は、15日の伊場野の夕日です。

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