昨日へ     2006年01月04日   明日へ

いろんな場面で「即戦力」という言葉を聞きます。

それは、たとえば就職したばかりの新人が、すぐに力を発揮させるということでしょう。教員採用試験のやり方を変えると聞きました。それも「即戦力」を期待してのことなのでしょう。でも、「即戦力」を求めるということは、経験を積ませること・現場で学ぶこと...を過小評価することに繋がります。経験を積んだ先輩を「時代についていけない」と解雇し、コンピュータを操り・昔ながらの繋がり合いをあっさり断ち切る新人を現場に向かわせる管理職。とてもコンビニエンスな感覚に、僕は大きな危惧を抱きます。

「即戦力」のために「研修」があります。教員採用試験では、学習指導案を書かせたり、模擬授業をさせるのだと言います。なるほど、確かに授業ができない新人に担任させられる子は、困ることもあるのかもしれません。なるほど、授業の仕方も、あらかじめ学んでおくと、新人は安心なのかもしれません。「即戦力」を付けなければ「プロ」ではないと、言われてしまうのかもしれません。

けれども、所詮「研修」など、机上のものです。伝え聞くものです。マニュアル通りです。基本形に過ぎないのです。よく事故などが起きるたび「研修を徹底させます」などという報道を耳にします。しかし、それは所詮「研修」なのです。現場ではないのです。

臨機応変な対応ができることをも「即戦力」と呼ぶのかもしれません。けれども、臨機応変こそ「教えられるもの」ではないです。「学ぶもの」です。そして、きっと「学び続けるもの」なんです。日々、いろんな失敗がある。そして、反省をする。そして、学ぶ。また、伝えたり、アドバイスし合ったりする...。たとえば、小学校教員をしている僕は「まだまだ」です。失敗だらけで、反省し、そしていろいろと試みます。若い頃にできたことが出来なくなったりもします。けれども、そんな毎日を、全部受け入れて、やっていくんです。

僕が最も不安に感じるのは、この「即戦力」を求める考え方が、どんどん低年齢化することです。コンピュータを操作する技術が子どもたちに求められるのでしょう。英語をしゃべること。株式の仕組みを知ること。資格を取ること。「スキルアップ」という言葉を、このところよく耳にするようになりました。深みのない、思考することのない、テクニックと裏技で、人生が・世の中が、何とかなってしまうような、そんな青年が選挙権を持つようになることが、僕はとても心配です。そして、そんな青年たちが、親になっていくのでしょうか。

今年も僕の名刺には「あわてない・あきらめない」と書かれています。何でもすぐに結果を求めない、まさに「育つ」時間の大切さを、失敗の後にある尊いものを、捨て去らない暮らし方(仕事)をしていきたいものです。

写真は、2004年12月28日の八重山諸島・黒島での1枚です。

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