昨日へ     2006年01月15日   明日へ

『階級社会〜グローバリズムと不平等〜』(ジェレミー・シーブルック著 渡辺雅男訳 青土社 2004)を読み終えました。ふーっと、大きなため息が出ました。いろんなことを考えました。いろんな場面を想いました。

言い訳の力。犯罪でさえも「言い訳」が成立すれば、罪の意識さえ解毒させるのかもしれないと考えました。僕たちは、後ろめたいことをいっぱいしているのですが、「言い訳」に「助けられ」、自分の(自分だけの)「幸せ」に安穏としているように感じられます。

100円ショップは、とてもありがたいのですが、それは自宅にメイドを常駐させているのと、同じかもしれない。メイドというと、甘いでしょうか。ならば、女中。いやはっきり言いましょう、奴隷。この日本列島で、この日本国憲法下、奴隷を自宅で働かせていることに胸張れる人は、少ないでしょう。賃金を与えることなく、蔑む前提で働かせていること、それはおかしいことと(まだ)感じられているのではないでしょうか。でもね、世界全部見渡したとき、国境の外で、僕たちは「仲間」を「奴隷」にしている。「仲間」を、使い捨てている。その現場は、今の僕の日常からは見えず、「奴隷」の厳しい眼差しに怯えることも今はない。彼らの止まらない咳。彼らの子どもの、延々と続くであろう泣き声と、イライラして打つ怒号。...そして、それに重なるのは、100円ショップの商品だからと粗末に扱う「仲間」たち。

ひどい境遇にある「仲間」を目にして、その境遇をその人に由来するもの...たとえば努力をしないから...とするなら、きっと「弱肉強食」はより一層躊躇することなく、「仲間」の命を奪うのでしょう。奪い続けるのでしょう。さあ、僕は、今どこにいて、どこに行くの? 「救う」のではなく「共に闘う」なのだろうな。グローバリズムという「弱肉強食」を、これ以上のさばらせない、人間の尊厳のための闘いが必要なのだと感じています。

今日は、夜から介護でした。「障害者」の人権。ああ、人は支え合うことが必要なのですね。それは「助ける」ではなく「助け合う」だな。

写真は、30年くらい前の夕張・旭町83番地あたりの1枚です。

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