昨日へ     2006年01月19日   明日へ

明日が、教職員組合の支部委員会です。どうしようかと迷いましたが、やっぱり手ぶらで参加するわけにはいかないと思い、夜になってから、いそいそと支部委員会にまく個人ビラを作りました。A3版両面刷りで、半分に折って配布です。文字だけだと、こんなんです。

学校が、学校であるために
教職員評価制度導入反対を、行動で示しましょう。
・評価票を提出しない。
・白紙で提出する。
・評定(SABCD)を書かない。
・その他にもいろんなことができます。

仲間が攻撃されていたら、同じ立場に立って、守る。
それが、仲間が仲間である証し。

一人は不安。
武器を持たぬ私たちは、丸腰なのだ。
だから、仲間と集う。一緒なら、きっと力が生まれる。
それが、労働組合。
労働組合は、働く者を守る大きな力だ。

しかし、
世知辛いホリエモン的社会は、支配する者たちの規制緩和ばかり促し、
人間の権利を、どんどん奪い・消滅させそうだ。

「自己責任」って、何だろう。
誰かが殺されたら、そいつが悪かったと、なじるだろうか。
努力が足りないと、当然の報いであると、そして自分はそうなるまいと、
冷たい気持ちで言い訳を繕うだろうか。
ならば、仲間とは何だろう。

もし、能力給がやってきたら、労働組合はどうするのだろう。
もし、免許更新制がやってきたら、労働組合はどうするのだろう。
もし、改憲がやってきたら、労働組合はどうするのだろう。

裏技は、きっとない。
テクニックとか、そんな問題じゃない。
私たちへの迫害・支配に、抵抗するか、それとも受け入れるかなのだと思う。

そんな中で、
労働組合とは、何なんだろう。
団結とは、何か。
・・・自分だけが延命する方法を準備してはいないだろうか。

助け合うとは、報酬のためではない。
助け合うとは、人間であるため。
仲間を捨てたとき、その人は人間であることを捨て、
そして、仲間に捨てられることを受け入れるのだろう。

おかしいことには「おかしい」と言いたい。
おかしいことには「おかしい」と言うべきだ。
けれども、
我が身の明日が不安定にならぬか、
孤立しないか、
差別されぬか、
殺されはしないか、
人間は、幸せを求めるゆえに、不安も抱く。

そんなとき、きっと仲間がいる。私は、信じる。
そんなとき、きっと労働組合がある。私は、信じる。

おかしいことに「おかしい」と、
しっかりと表現する労働組合。
おかしいことをそのままに、素通りさせない労働組合。
評論だけでなく、行動する、私たちの代表である労働組合。

私たちが共に働く職場に差別を持ち込む「教職員評価制度」を、
労働組合は素通りさせないと、私は信じている。
できる限りのことをする。
きちんと表現する。行動する。
「学校」をまさに「作る」か「破壊する」かが、問われるこの局面に、
私たちは問題の先送りをしてはならないのではないだろうか。

あなたは?

写真は、地吹雪のために集団バス下校となり、バスが来るまで遊んでいたときの1年生と6年生です。いやはや、僕も疲れたわい。

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