昨日へ     2006年01月24日   明日へ

体重が増えたのは、欲求不満なのだと思います。寂しいんです。構ってもらいたいんです。親が忙しいときに、生徒指導上の問題を出す子の気持ちが少し分かる感じ。格別、連れ合いぴよさんと仲悪いわけじゃないんです。職場で、追い詰められているわけでもないんです。でも、何か成就感がない、自分の存在意義を自覚できない、そんな感じなのです。気分的な「不幸せ」なんです。

こんなときって、「異常なる犯罪」への親近感を考えます。子どもが鬱積させたものを少し違う形で発散させることへの、距離感の近さです。

犯罪者が新聞で報道されるとき、よく近隣の人のコメントが載りますよね。「そんなことする人とは思わなかった」とか「普通の中学生でした」とか「優しくておとなしい子だったのに」とか...。実のところ、分かりやすく普段からはみ出したり暴れている人は、早々に「犯罪」に結び付かないです。少なくとも、あんまり報道されるものにはならない。ところが、ゴシップ的・おもしろ的マスコミとしては、「異常なる犯罪」は「異常」ゆえに記事にするんですね。そのときの「異常」は、当事者の内面に関わるものがほとんどで、その環境に問題があるにも関わらず、本人の責任・問題にされて、幕が下ろされたりするんです。

孤立し、誰にも大切にされず、それどころか粗末に扱われ、裏切られ、見下されると、人は「もう、どうでもいい」という気持ちになるのだと思います。自暴自棄というものです。人は、自暴自棄になると、なぜかかえって「いけないこと」をするものなんです。愛されたいのに、大切にしてほしいのに、なぜ自分が、自分だけが、こんな辛い思いをしなくてはならないのだ! いっそみんな不幸になれ! どうせ自分は報われないのだ! 生きていても仕方ないのだ! という感覚。いわゆる「犯罪」は、そんな背景で生まれるのだと思います。巧妙な計画的な、冷静な自分の利益を追求する「犯罪」は、ほんの一握りなのだと思います。人は、追い詰められなければ、みんな優しくいられる。そんなことを思う、この頃です。

写真は、一昨日松山町散歩をしたときの1枚です。僕は、こんな町で暮らしています。

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