昨日へ     2006年02月22日   明日へ

かつて夕張で、2月22日に炭鉱事故がありました。

今日は、たくさんの炭鉱労働者の命日なのです。僕は、毎年毎年、手を合わせます。そして、亡くなった労働者に恥ずかしい生き方をしていないか、自分に問います。問い続けて、ずいぶん長い年月が過ぎています。かつて子どもで、かつて中学生で、かつて受験生、そして予備校生、そして学生となり、そして今労働者の僕は、命日にいつも立ち止まっています。死んでしまっていない自分の可能性を、推し量るのです。

かつて学生だった頃の僕は、とても理屈っぽく、そして断定的でした。世界の正義が、あたかもどこかにあるかのようでした。そして、必要以上に孤独でした。抗うことは、寂しさと一緒でした。いつか来る「平和」に慰めてもらいたくて仕方がなかったのでした。

今、労働者として、たくさんの人の話を聞き、いろんな現場を見てきた僕は、自らの発展途上を、前向きな可能性(未来)として認め、大らかに失敗を糧としています

「平和はやってこない」 いつまで経っても、平和はやってこないんです。それは、いつまでもいつまでも追求するもので、まさに「幸せ」なんかと一緒なんです。一時「平和」を手にしたりすると、人はそれを守ろうとしがちです。自分だけの「平和」。私が求めているものは、きっとそういうもんじゃない。きっと、「平和」は面倒くさくて仕方ないもの。一番面倒くさくないのは、独裁です。考えたり悩んだりする余地がない。だから、日常の面倒くさいことが、全部なくなったら、それを疑うべき...みたいに考えています。学校も、困ったことだらけですが、そんな中で、小さな「人として生きる幸せ」みたいなものを、たくさんたくさん見つけて生きたいものです。みんなで分け合っていきたいものです。

僕は「血」というものを信じません。僕は、僕だから。けれども、環境として、風土として、僕の周囲にあったものを誇りとするなら、僕は炭鉱労働者の「血」と、鰊漁師の「血」を信じたいと思っています。人を蔑まず、人して生きること。かつては「未来」だった21世紀が、こんな「現在」である中、僕は顔を上げて、決して諂わず、決して怯まず、これからも暮らしていくことを誓いたいと思います。

写真は、今日の昼休みに教室で5年生が撮ったものです。

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