昨日へ     2006年03月12日   明日へ

今日は、予定が入っていない日です。とても久しぶりの休日なのです。天気は、よくありません。少し寒いくらいです。町内会の総会には、連れ合いのぴよさんが出てくれるので、僕はまた文書書きと、日記更新などを進めます。

昼ご飯は、ラーメン。そして、ビール中瓶を1本呑んじゃいました。休日です。3時過ぎに、昼寝をしてしまいました。起きて、お風呂に1時間入りました。久しぶりに、だら〜っと入って、垢すりこもしました。ああ、すっきりだっ。

文書書きをしながら、いろんなことを考えます。いや、考えるから書くのかもしれません。

「安心」というものを手に入れると、人は「不安」を同時に手にしているように感じられます。「安心」は「便利」とも置き換えられます。たとえば、お金。多く得ると、あたかも幸せ。でも、なくなることを不安に思います。たとえば、電気。なくなったら生きていけないって、あなたは思っていませんか? 失っても、なかなかどっこい、人間は生きていけるもの。でもね、「そんなことになったら、たーいへん!」という不安がいっぱい流布されていて、僕たちはどこかに追い込まれているように、感じるのです。

年金制度に関わる問題も、国がきちんと保障すべきだと思います。競争原理に任せ、民間の営利目的の「保障」は、市民の権利を保障するものではない。全ての人が生きていく、生活していくことを、国は保障しなくてはならないんです。しかしながら、ここで思うのは、そういう論議を通しながら、実は年金制度がなければ生きていけないという前提を認めてしまっていることへの危惧です。「制度」という「安心」です。

少々極論になるかもしれませんが、年金制度がなくても生きていける町・仲間ができていれば、それでいいんだと思います。お金がなくても生きていける町・仲間。電気がなくても暮らしていける町・仲間。大前提には、みんな平等であるということがあります。これは、忘れてはならないこと。そんなことを考えるのです。

僕は、事実婚(婚姻届を出さず、結婚しているってことです。夫婦別姓です。)という暮らし方をしています。それは、制度外の暮らし方。制度に生かされない暮らし方に、少しずつ自信を付けられるといいなぁと、考えています。失敗しても、人生は続く。職を失っても、人生は続く。たとえ犯罪を犯してしまっても、仲間がいる。住む場所がなくなっても、この星はある。仲間がきっと支えてくれる。「取り返しがつかない」後も、人は生きていくのです。生きていけるのです。

何者かに追い込まれ、小さくまとまった消化試合としての人生を、歩みたくないと、なんかそんなことを思う今日でした。それゆえに、弾圧する者・拷問する者の弱さを、よくよく考えた今日の1時間の風呂タイムでした。拷問する者は、いつも権力を持っている...。そのへんについては、また今度書きますね。

写真は、昨日Kっつぁんに送ってもらったカエルくんです。Kっつぁんのお連れ合いYさんは、僕に似ているカエルくんと言っていたとのこと。ふむふむ、なるほど。(Kっつぁん、Yさん、ありがとうございます。)

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