昨日へ     2006年03月13日   明日へ

今日は、学校帰りに古川市民会館で、こまつ座公演「兄おとうと」を見ました。たった今、見てきて帰宅したばかりなので、まだ興奮気味です。整理せずに、感じたこと、考えたことを書きますね。

僕は、もっともっと勉強せにゃあかん!と感じました。これは、ここんとこの僕がいつも感じることなのです。知ったつもりでいて、それは全然深まっていない、表面的なものじゃないか!という、自己への反省&恥ずかしさです。吉野作造のことを、何となく知っているつもりでいたけれど、ぜーんぜん僕は知らないという事実。歴史のあれこれという出来事を知っているつもりでいたけれど、うすっぺらじゃん!という気付き。大杉榮さんについてもそれが言えたので、この正月「大杉榮全集」を取り寄せたものの、それはそのままになっています。ああ、じっくりと本を読み、人の話を聞き、研究する時間がほしい。知ったふりしちゃいかんよ!という自己への叱咤ですなー。

さすがプロ!と感じました。かつて演劇青年予備軍だったんです、軍って言うのもなんだけど。だから、芝居にゃあ、ちとうるさいのです。だから、小学校の学習発表会の劇にも、なかなか必要以上にこだわるんです。そんな僕は、ああ、なんと小さいものか。あったりまえ過ぎて、いささか恥ずかしいのですが、やっぱり「こまつ座」はプロだぜって、感じました。俳優さんたちの、演技はもちろんですが、舞台美術がさすが行き届いている! 妙に驚いたのが、場がみんな30分なんです。この計算され尽くされた脚本の深みよ!という感じ。「計算された無駄」みたいな、「気持ちのよい余白」感覚を、学びたいと感じました。

僕は、「偉人伝」が嫌いなんです。「偉い」って言い方・考え方が、嫌なんです。だから「伝記」というあらかじめ「価値がある」「見習うべき」とされる文章には、いつも違和感があるんです。まるで感動の押しつけのよう。「ここで笑うんだよ」という感情の教育のよう。さて、今日見た「兄おとうと」では、吉野作造がまあ「主人公」なわけです。彼の生き様を、僕はもっと知らなければならない(知りたい)と思いました。そして、そのスピリットは、きっといろんな人の中にあるぞと、今日、感じたんです。ほら僕の中にも、吉野作造の双葉が少しだけ出ているんです。そして、それは僕だけじゃきっとない。そう思う僕は、「兄おとうと」は、ぜひ中学生・高校生に見てほしいなぁと感じました。今日の古川市民会館の観客は、ほどほどに老若男女だったものの、41歳の僕は、きっと平均年齢よりもかなり若かったと思います。それは、僕としては残念なことです。40歳以上の皆さん、自分の活動も大事ですが、若者に(今日の劇ではありませんが)説教抜きの勧誘手段を、あれやこれやと考えなければならないのではないでしょうか?

「兄おとうと」への批判は、ほとんどないです。辛口僕としては、これはとても希有なことです。ただ、一つ感じることは、性別のことです。吉野作造の普通選挙は、劇中にもあったように「25歳以上の男性」です。物事には、段階があるゆえ、歴史的にそのことを批判するつもりはありません。けれども、劇の中の女性は、やっぱり「女性の」または「妻の」あるべき姿...というステレオパターンではなかったか?という、疑問は僕の中にあります。劇中で、「右翼」のことを批判しますが、それはきっと「封建制度」への批判だったはず。その中にありながら...というあたりが、ある意味、観客への課題提示であったのか?と考えたりしています。

今回の公演は、友だちのSさんのお誘いによるものでした。Sさんには感謝感謝です。今回の公演で、まるでロックバンドのベーシストのように基調になるところを支えていたピアニストの朴さん。Sさんは朴さんのお友だちということで、公演後にバックステージで朴さんとお会いすることもできました。朴さんにもSさんにも感謝です。

大粒の雪の舞う古川。今日の公演で、人びとの暮らしをより一層大切にする、そんな活動する市民が一人でも多く、立ち上がることを期待しています。今夜は、なんと有意義であったことか! 機会があれば、ぜひこまつ座の「兄おとうと」を見てくださいね。

写真は、昨日洗濯物を干しているときに見かけた、越冬タテハチョウです。今日は、雪でしたが、春が近づいているのです。

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