東京は、ひばりケ丘のマンションのゲストルームで目を覚ましました。僕の予定としては、午後に戸山である「学校教育法改正・原則統合フォーラム」に参加することだけです。マンションの上の階に、連れ合いぴよさんのお父さんお母さんがいるので、ぴよさんはほどほどに早くエレベーターに乗ってするすると上に行きました。僕は、ちょいと遅れて昇って行きました。
朝食後、池袋の自由学園・明日館に行く用事ができたので、早々に出かけることになりました。池袋線でことこと。見覚えのある池袋の発祥地を通り、桜を眺めながら歩きました。そして、自由学園明日館。桜がまさに満開! たくさんの人が写真を撮ったり、眺めたりしていました。
明日館の売店に行きました。ぴよさんがアクセサリーを手に取りました。ほほっーと思って、勧めました。マペットがありました。ネズミくんと目が合いました。ぴぴーん!と来たので、一緒に帰ることにしました。絹でできているらしいネズミくんは「みょうちゃん」です。すぐに名前が浮かんだんだな。明日館は「みょうにちかん」と読みます。そこで出会った他に、名前の由来はあるんだけど、ちょっとここでは言えないかな。
明日館近くの小さなレストランに入りました。僕はビーフシチューを、ぴよさんはロールキャベツを注文しました。どちらもおいしかったですよ。
さて、池袋からどうしようかと考えました。目的地の「戸山サンライズ」は、障害者福祉施設なんですが、正確に何という名前かが分からず、地図で見ると、それと思われる施設が2つあるんです。フォーラムの案内では、東西線早稲田駅徒歩10分とあります。ん〜、どちらとも考えられる...。結局、池袋からの移動もなるべく簡便にしようと考えて、高田馬場までJRで行き、早稲田通りを歩いて行くことにしました。きっと表示が出るだろうと思ったのです。けれども、出ない。しかも、予想した一つ目は「戸山サンライズ」ではなかった...。別な施設で、場所を聞き、また歩きました。ローソンの角を曲がり、坂を降りて、坂を登りました。途中、アパートで瞑想していた猫くんに会いました。途中、桜の下でにぎやかな花見場所がありました。大好きな山吹が咲いていて、慰められました。
ふ〜、やっと「戸山サンライズ」に到着しました。思い返してみると、僕が学生の頃、友だちの介護をしながら東京に行ったことがありました。そのとき泊まったのが、ここでした。カプセルホテルに泊まったことが、とても印象的でしたが、ああ確かにここには来たことがある。
「学校教育法改正・原則統合フォーラム」は、もう始まっていました。三重の日教組全国教研・自主教研でお会いした方が司会でした。シンポジウムでは、お医者さんの山田さん、弁護士の大谷さんが話しました。フォーラムの名前だけでは、どんな内容か分からなそうですね。要するに、どの子も(「障害」があってもなくても)地域の学校で暮らして行こうというテーマの集まりなんです。
このテーマは、僕にとって「初心」とも言える深いものです。そもそもの始まりは、「隔離」という感覚そして事実です。少年だった僕の底辺には「隔離はおかしい」という水準点がありました。夕張という谷間の町で、大江健三郎なんか読みながら、「隔離・隔絶」させられている者がいかに「解放」を勝ち取るか...みたいなことを、よくよく考えるようになったんです。キーワードは、在日でしたし、オキナワでしたし、ああ「はだしのゲン」という「初心」もありますね。
少年だった僕は「偽善者」にはなるまいと思っていました(それは、今でも変わりませんが)。「偽善者」にならないためには、行動が必要で、そのための自分の働きようを考えたのでした。そんなときは「福祉」という言葉が、何となくかげろうのようでもありながら、僕の前に現れたのでした。
新聞記者になりたいとか、映画監督だとか、獣医だとか、いろんなことを思い描きました。その一方で、本当に自分でできるのだろうかとか、受験科目は何だろう?とか、大学の学費だとか、様々なことを伺い、僕はどんどん「夢」を「現実的」という言い訳で割り引いて行ったんです。結局、北海道から出たいという思いも背中を押しながら、「視力がない子どもの教育をするという仕事」をするというスタイルで行こうと決めたのでした。そして、宮城教育大学を受験。予想通りに不合格。札幌での予備校生活。
その札幌で、僕は「自由」でした。親元にいないということが、これほど僕を変えるのかと、今も振り返って驚きます。いろいろなところに行きました。いろいろな本も読みました。「とにかく大学に入らないと何も始まらない」と言われ続けた中で見失っていた「初心」が少し戻ったのは、水俣や下北の劇や映画を見たあたりからです。僕は「隔離」「差別」からの「解放」の戦線にいなくてはならないと、そんなことを思ったのでした。
希望通りに入学した宮城教育大学C類。受験に当たっての「初心」は、盲学校教員養成課程の中学校(英語)コースでした。けれども、履修届をするとき、あっさりと養護学校教員養成課程小学校コースにしたのは、一つには「差別」と闘うためには養護学校に行かされる子どもたちと共に歩まねば!と思ったため。もう一つは、片思いで好きだった(と言っても、公言する僕でしたが)女の子が養護学校教員養成課程だったから...。言うまでもなく、後者のほうが大きかったんですけどね。
ああ、それから本当にいろんなことがありましたねぇ。大学の尊敬する先生に紹介されて、デイケアセンターで体操のお兄さんのバイトをしました。あそこが「せんせい」と言われた初めての場所。仙台市の障害者センターがコンピュータを導入することに反対していた「障害」仲間と出会い、赤堀さんの裁判の傍聴に静岡まで行ったりしましたっけ。思うと、介護介護の日々でした。介護という立場を考えることで、僕は随分と人の話を聞けるようになったと思っています。
教員になってから、共育を考える会主催の「市民による就学相談会」にずっと参加しています。「障害」を持つ子どもの親御さんの話を聞き、アドバイスをしたりして、ああもうすぐ20年近くなる..。で、状況は、どう変わったんだろう?
そんな問題意識で、今回「戸山サンライズ」に行ったのですが、問題は簡単じゃないなぁ。豊中市の実践の話などありましたが、北村さんが言っていたことが、とても重みがあって、さすがだなーと思ったなぁ。北村さんが言っていたこと。制度でなくて素手でやってきた誇り。法律なんかで、よくなったためしがないということ。...そう、制度に、僕たちはどれだけ裏切られ、傷つけられ、追いやられてきたことか。
僕は、ノートにメモしました。学校と地域を「私たち」に取り戻す。これ、これからの課題。僕の再出発点。やっぱりここまで来てよかったです。
写真は、池袋の自由学園明日館と桜とみょうちゃんです。