今朝の夢は、こんなのです。「古本屋。夜。冬。若者が暴れて、僕のカバンを奪う。週案が出てくる。そのへんにまき散らす。お金もカードも全部。つかみ掛かる。取り押さえる。でも反省しないので、店員に警察を呼んでもらう。3人来る。注意されるけど、逮捕はされないよと言う。暗い道、3人の警官がすぐ来る。彼は泣く。たいしたことのない理由で暴れた。僕も情けなくなる。自分のことのようだ。」
算数の時間に、みんなで豆を数えました。皿に載せて、10のかたまりにしながら、数えました。それを、水に浸します。植えるんです。しばらく、しわしわになり、みんなざわめきます。そして、膨らんでくる。明日、植えましょう。
ここのところ、jazzを聴き、どうも演劇モードが疼いています。サックスへの憧れが、実際に吹いてみるという展開に移っています。音楽室にあるアルトサックス。吹きかたなど、よく知らないのですが、いつものように適当にやるのです。とりあえず、目指すのは「同士はたおれぬ」です。篠田昌巳さんのサックス。「COMPOSTELA」というアルバムに入っています。
「同士はたおれぬ」という音は、どうしようもなく、僕の中に流れているんです。それは、ヒロヒトが死ぬあたりの僕の学生時代後半に思いきり重なります。僕は、もともと演劇青年を志していました。そんな僕が、恋愛をして、傷付き、そしてまた恋愛をして、傷を付け、そんな頃、確信的に状況を変えるための営みを「個人として」進めなければならないと思ったのでした。何かに与して、または所属して「任務を果たす」のではない、もっと「崇高な個人」として何か。山谷の労働者の闘いに、僕は外野としてしか支援しきれないでいます。けれども、それは僕の産炭地のズリ山から連なる何かに、かなり重なっているはず。そのあたりが「同士はたおれぬ」にかぶさってきます。ああ、rolling stoneです。
写真は、今日の一年生。みーんな高いところもへっちゃらなんです。