昨日へ     2006年10月14日   明日へ

今日は、オフなんです。日記書いて、劇音楽追加検討して、夕方久々の川渡温泉藤島旅館です。ひょっとしたら半年ぶりくらいじゃないかな? まったりと一時間入っていました。温めな感じでした。行き帰りの車の中では、iPodで劇用の曲をまだ試行錯誤しています。帰り道、生協向かえの韓国料理食材屋さんで、これまた久しぶりに豚足とチャンジヤを買いました。お財布の中身と相談して、小さいチャンジャかなと思いましたが、ぎりぎり大きいチャンジャが買えて、うれしいな。

朝鮮民主主義人民共和国の核実験に関わるニュースばかりが時間を占めているので、あまりニュースを見ません。どの国であれ、どの会社であれ、どんな思想信条・価値観・「正義」を背景にしても、核兵器を持つことはよくないことです。批難されるべきです。全ての核兵器...いえ、全ての核(原子力)は封じられるべきです。僕は、そう考えます。なぜなら、今の地球だけでなく、将来の地球が、穏やかであってほしいから。

朝鮮民主主義人民共和国を「制裁」する日本政府が、朝鮮民主主義人民共和国にどんなことを求めているのか、僕にはよく分かりません。自転車を買いに来る船に「もう来るな」と言い、日本で暮らすおじいさんおばあさんに会いに来ることを禁じ(ああ、孫にもう会えないかもしれない...)、マツタケもウニも買わないなら、きっと朝鮮民主主義人民共和国の市民は、困るでしょう。というか、暮らせなくなるかもしれない。食べられないかもしれない。飢えるかもしれない。そんな朝鮮民主主義人民共和国の市民が「核実験なんかするからだ! 政権打倒だ!」と立ち上がることを、日本政府は期待しているのでしょうか。アメリカがイラクを侵略したときのように、朝鮮民主主義人民共和国の「民主化」を課すのでしょうか。期待しているのでしょうか。

僕は、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、統一されるといいと思っています。それは、互いに手を取り合うということです。吸収合併や買収とは違います。統一を願うのは、僕に何と「得」ももたらしません。僕は、そこで商売しようと企んでいるわけじゃないですから。同じ民族なのに、人工的に敵対させられ、政府によって面会・交通の自由を阻まれている市民がいる。そのことを何とかしたいのです。東日本と西日本との間に、いきなり壁を作られてはたまったものではありません。分断とは、そういうことなのだと思います。

僕が危惧するのは、日本政府がどんな道筋で「平和」を築こうとしているかが、よく見えないことです。そして、見えないことを多くの人が問題視していないのではないかということです。「制裁」は、どんな「効果」を持ち、その「効果」はどんな状況を作るのでしょう。日本政府は、どんな状況を作りたいのでしょう。率直に言って、戦争(戦闘)の口実作りをしているようにも、見えてしまいます。僕は、とても不安です。

殺されていい人は、一人もいないんです。暴力を一つでも許せば、全ての話し合い(対話)は、滅ぼされかねません。なぜなら、話し合いは面倒くさいけれど、暴力は簡単だから。

暴力を「使う」者は、必ず「駒」を使い、自分の手は汚さないんです。傷つくのは、いつも「弱い」立場の民衆で、「弱い」ゆえに「駒」として使われる。...僕は、そういうの、許したくない。暖かい部屋でご飯を食べている者が、寒空に空腹でいる人を食い物にするのは、許されないんです。

これまでも、何度か日記に引用してきましたが、「あたらしい憲法のはなし」の一部を引用しますね。「あたらしい憲法のはなし」は、文部省が作ったものです。

六 戦争の放棄

みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

(あたらしい憲法のはなし 中社707 あたらしい憲法のはなし 中学校社会科第1学年用  1948年10月26日 翻刻発行 1950年11月25日 修正印刷 1950年12月20日 修正発行 1950年12月20日 文部省検査済  著作権者 文部省  東京都文京区久堅町106番地 )

「あたらしい憲法のはなし」は、こちらのサイトで読むことができます。

写真は、1985年夏の下北・むつ関根浜で撮った1枚です。

昨日へ        明日へ

はじめのページを新しく開く