昨日へ     2006年10月20日   明日へ

学校に四輪車で向かいました。三本木の堤防を行く前の車が、何かを避けて通っていきます。こりゃあ、誰か死んでいるんだなと思ったら、やっぱりそうでした。

猫でした。僕は、四輪車を止めました。そのまんまアスファルトの上で何度も殺されるのは忍びないのです。できるだけそういうときって、道端の土のあるところに移すようにしているんです。ごめんね、それくらいしかできなくて。

そして、猫をよくよく見たら、何とその猫に子猫が2匹寄り添っているじゃないですか。まさに胸が締めつけられるって、こういうときを言うんだな。ドアを開け、動かない親猫に近づきます。子猫は僕を睨みます。でっかい目だ。どこかで見たことがある、この姿。ああ絵本「猫は生きている」だ。僕は声を掛けました「ごめんね。もう母さん、死んじゃってるんだ。ごめんね」。二回目の「ごめんね」を言う前に、一匹は右に、もう一匹は左の堤防下に飛んでいきました。僕は、まだふにゃっとしている殺された猫を、ガードレールの下をくぐして、土の上に安置し、四輪車に戻りました。狭い堤防の上なので、四輪車が後ろに続いていましたが、ごめんなさい、だって猫を殺したのは、人間なんだもの。

年齢を重ねるごとに、僕は自由になっているように感じています。若い頃の僕なら、僕が猫を殺したと誤解されるかもしれない...とか、偽善者のように見られないだろうかとか、なんかそんなことを考えて、そして一つひとつの出来事に、ちゃんと向き合わないでいました。でも、それってみんな、何もしないための言い訳だったんだな。そういう言い訳は、ときにはいじめを許す言い訳になっているかもしれない。保身するための、「権利」のように心で囁き、結果として、誰かが誰かを傷つけることを、後押ししていることになってしまうかもしれない。

今日もどこかで、動物たちが人間に殺されているでしょう。ああ、人間は人間も殺しているかもしれない。

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