昨日へ     2007年05月17日   明日へ

この頃の僕は「何もしないこと」ということの可能性を考えています。正確には「何も余計なことをしないこと」と言ったほうがよいかもしれません。子どもたちを取り巻く、いわゆる教育に関することでは尚更のことです。

「教育」を「再生」させると、権力やお金を持っている人たちが息巻いています。今の状況に課題があることを、僕も認識しています。このままでは、よくない。

でもね「よくない状況」をよくするために、なぜ余計なシステムを増やすんでしょうか。今存在している余計なシステムがあることが問題なのに、問題解決をするどころか、一層問題を深めているんです。

世論調査によると「教育問題」への関心が高いそうです。そうでしょう。教育現場の状況は、よくないです。問題があります。改善されるべきです。ずっと昔から、常に「教育問題」は「問題」としてあり続けてきています。みんなが「満足」して、「問題」を感じない時代はなさそうで、それは「この頃の若い者」への大人のつぶやきのように、ソクラテスの時代から、ずっとずっと続いてきたのだと思います。「満足」しないということは、期待している気持ちの裏表なのだと僕は思います。

けれども、僕は「教育問題」という「問題」について、そしてそれに対処しようとする権力やお金を持っている人たちの横暴に、危惧を一層深めています。やばいなと思います。薬を飲み過ぎて体調を損なっているのに、体調を整える(かもしれない)薬をまだ飲むのか! 飲ませられるのか! というそんな危惧です。余計なシステムはいらないんです。余計なシステムを緩和させるシステムもいらないんです。薬を飲むことよりも、ゆっくりと眠れば治るように、人間を子どもを、もっと信頼するべきなんです。慌てて、よいことなど何もないのに。あなたは、どう感じますか?

写真は、5日の下北・下風呂温泉の朝です。

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