昨日へ     2007年10月07日   明日へ

今日は、エルパーク仙台で、共育を考える会主催「市民による就学相談」です。

ずーっと参加している就学相談会です。昨年11月19日にあった秋田の三戸さんの講演会で、かつて就学相談会に参加されたという方に声を掛けられたことがありました。感謝されつつ、僕のほうこそ感謝でした。ありがたいと思いました。毎年、メモを取りながら話を聞きます。今年は、ここ数年のメモを手にして、参加しました。昨年来られた方が今日も参加された場合、「○○学区ですね」「名前は、○○ちゃんでしたね」と話せると、きっとよいだろうと思ったからです。

地域の小学校に進むのか、養護学校を選ぶのか、それで人生全てが決まっちゃうことはありません。でも大きな選択であることに間違いありません。よくある質問は、この2つです。「障害があるのでいじめられないか」「みんなの迷惑にならないか」です。

「障害があるのでいじめられないか」には、「いじめられるかもしれません」と答えます。そして「障害があってもなくてもです」と付け加えます。「嫌なこと・傷つくことが必ずあります。けれども、嬉しいこと・感動することも必ずあります」と話します。誰にも会わなければ、いろんな経験をする機会をなくせば、嫌なことも傷つくこともありません。けれども、嬉しいことや感動することもないんです。僕は、九九が全部唱えられることよりも、いろんな人とおしゃべりする楽しさを知ることのほうを、まず学ばせたいと思っています。僕と同じ考えの教員もいれば、そうでない教員もいる...そのへんが豊かさなんだと考えます。ちなみに、「障害」ゆえに大人が付きっきりでいることは、ちょいと心配です。子ども同士の関係は、やっぱり大人抜きでしょう。子ども同士のつながりを、僕は信じています。子どもは、結構大人です。子どもは、思ったよりも頼りになる。

「みんなの迷惑にならないか」には、「みんな迷惑掛けっこです」と答えます。「障害があってもなくてもです」と付け加えます。無事であることと、何もないこととは、ちょいと違う。学校は、子どもたちが成長するためにあるので、いろんなトラブルはあって然るべきなんです。トラブルは予定されていることではないので、いやはや面倒です。でも、それを成長の機会にしていくのが、教職員の仕事でして、トラブルないことを目指すと、学校が教育機関じゃなくなっちゃうんですなー。「障害」に関わらず、「迷惑になっているのではないか」という不安は、差別ある社会、どこでもあります。それは、ときに自らの存在を否定肯定させられるほどの大きな思いものになってしまうこともあります。今回の相談案件に、中学校での話もありましたが、「迷惑だ」と言われることは傷つきますね。でも、何を優先させるかを問い直す、よい機会とも言えるかもしれません。「みんなの迷惑にならないか」を考えるたびに、僕は吠えることをできなくされた飼い犬を想います。学生時代に上映会をした「さよならCP」を思い出します。みんなが公平に主人公である世の中は、なかなかごちゃごちゃと快不快をミックスしたものなのだろうなーと、考えたりします。

ここでは、今日の相談について詳細を記しませんが、しゃべり過ぎだったことを振り返り反省しつつ、一助になればよいなーと、願っているところです。

エルパーク仙台を出たら、一番町でもヨサコイをやっていました。東北ヨサコイ祭りなんです。中新田のチームに、子どもたちが出ています。会えるかなーと思っていたら、会えました! 駆け寄って、声掛けて、踊っているところ写真撮って、終わったところで声掛けました。みんな喜んでくれて、僕も嬉しかったよ!

連れ合いぴよさんが、ガットのギターなら押さえられそうだと話していて、つい中古のガットギターを買っちゃいました。エピフォンのショートスケール。楽譜本2冊くらいの値段だったので、まーいいかと財布を開けたのでした。そして、介護。あれこれと仕事があり、最終電車、午前様で帰宅したのでした。

写真は、今日のヨサコイです。終わってほっとしたところ。

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