昨日へ     2008年03月11日   明日へ

卒業式での送る言葉の練習が始まりました。今日は、みんなそれぞれに言葉の分担ですね。いよいよ卒業だなーって感じ。

とても暖かかったので、みんなで外に出ました。蕗のとうがもう出ているんですね。雪の残っているところで遊んだり、泥団子を作ったり。ああ、春です。

5・6時間目に映画のビデオを観ました。「火垂るの墓」です。教室で観るには、なかなか長いのですが、みんなで観たのでした。昨日が東京大空襲の日。だから、3年生の中にはその関連を感じ取っている子もいました。

自慢になっちゃいますが、僕は「こわい話」と「痛い話」「気持ち悪い話」をするのが得意です。「こわい話」は、実はワンパターンで、道徳っぽく説教っぽいもので、前任校のNちゃんにズバリ見透かされたときはドキッとしたものでした。「痛い話」と「気持ち悪い話」は重なっています。だいたいは、怪我のイメージの話ですね。交通安全とか災害予防みたいなことを伝えるときに、つい「痛い話」になります。リアルに痛い状況を話すわけですね。想像力を喚起させる演出って、この仕事としては重要なところですなー。

先日「こわい話してよー」ってリクエストがありました。そういえば、毎年何かかにかしていたのに、今年はしてないなー。教室の本棚から一冊。講談社ふくろう文庫「わたしは幽霊を見た」です。僕が小学生の頃に読んだ本です。あの最初のページの亡霊の絵が、泣きたいくらい嫌でした。教員になってから、古本市で見つけて買って、それからずっと学級文庫です。先日、みんなの前で読み聞かせだったんです。

この「わたしは幽霊を見た」には、夕張の学校のことが載っています。夕張第一小学校に通ったことがある人なら、知っているでしょう。「トントン事件」です。夜の宿直室に戸を叩く音がして、開けても誰もいない。霊ですかと問うたら、そうだと戸を叩くって話。お経をあげた後、うなされた先生の口から「ありがとうごぜぇます」という声が...って話。僕が小学生だったときは、給食室近くの階段の下に「相談室」ってありました。そこが「トントン事件」の部屋と噂されていました。

僕が夕張第一小学校の6年生だったとき、体育館の改修工事がありました。大きな木造の体育館。手つなぎ鬼が好きだったことと、全校合唱が好きじゃなかったことが思い出です。その体育館の基礎工事の夏休み、6年生には学校に泊まるイベントがありました。その日「土の中から、人の骨が出てきた」という話が、みんなに伝わりました。どっきーん!ってしました。僕は、社会科で朝鮮中国からの強制連行の歴史を学んでいました。また「人柱」という行為も読んでいました。そして何より「わたしは幽霊を見た」を読んでいました。夕張のトントン事件の話の中で、働かされて弔われることもなく、そのままにされていた人がいたことが書かれてあったんです。僕の記憶では、予定されていた肝試しは中止だったと思います。夜の図書室に外の灯が入る風景だけが思い出されます。

強制連行の歴史って、中学校の歴史の時間にちゃんと学ぶ機会があるんだろうかと考えます。僕は、「わたしは幽霊を見た」の後、強制連行の話をしたんです。戦争の歴史も、まだ知らないみんなです。コンピュータのゲームの中で、いっぱいいっぱい人を殺し、ポイントをゲットしていても、死・殺し・見捨てること...のリアリティーは学んでいないんですよね。

日をあらためて、ヒロシマ・ナガサキの写真を見せました。あまり多くは語らなくて大丈夫。「カラーで見るんだよ」とは、よく言う言葉。歴史とは、過ぎ去った過去のことではなく、今日に続いていることですからね。

そして、今日、そんな延長線上に「火垂るの墓」。感想を書いてもらったものを見ると、やっぱりお母さんの姿がとてもショックだったようでした。担任した子どもたちには必ず言うこと。みんなおじいさんおばあさんになるんだよってこと。生きていくと、嫌なこともあるけれど、嬉しいこともある。生を受けた私たちは、生きることが第一命題なんですもんね。

写真は、暖かな今日の1枚です。

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