昨日へ     2008年03月31日   明日へ

釜が崎2泊目の朝です。今日は、東京に向かいます。「君が代」が流れるときに立たなかったことだけで処分が出される東京都。処分発令が今日なんです。その中でも、根津公子さんには解雇が言い渡されるかもしれないんです。これまで、水道橋にある東京都教職員研修センターで処分発令がされていましたが、根津公子さんについては別に離されて南大沢学園養護学校で行われそうとの連絡が入っていました。僕は、朝に釜が崎を出発し、新大阪から新幹線で東京に向かいます。途中で仲間からメールがPHSに入ります。南大沢学園養護学校への行き方などいろいろ。学校の門前にたくさんの人が集まっていること。南大沢は京王線相模線 南大沢駅の南口バス停3番から 三つめの停留所などなど。都教委の職員が来たことを知らせるメール。僕は、新幹線の中で流れる窓の外を眺めながら、いろんなことを考えていました。

僕は、教員になれないと思っていたこと。学生時代、指紋押捺拒否という手段で民族差別・日本の排外主義を問うた外国籍の仲間を支援する行動をしました。入国管理に関わることは、ことに公安がきっちりとつきまとっていて、スリリングでした。右翼団体が押しかけてきて、殴りかかってきたり...いろんなことがありました。僕は、顔を隠すのが嫌でした。みんなと同じ服装も嫌でした。「障害者」差別の冤罪事件・赤堀裁判支援で、静岡に行きました。女川原子力発電所のヒアリング反対行動で、機動隊数人に掴みかかられて持っていかれそうになりました。天皇ヒロヒトが死んだとき、みんなが喪に服す(喪に服すものとされる)ことに反対して、独り派手派手な看板を作り、キャンパスに置きました。臨教審反対!とメガホンを持ちました。初任者研修制度は物言わぬ教員作りだ!なんて、大きな声でした。あちこちで警察に付き纏われ、みんなにブラックリストに載っていると言われ、でも就職しなくちゃいかんなぁ...と試験を受け、受かったのでした。連れ合いぴよさんが教員になったら、僕は教員を辞めるよと、実は言っていました。僕は、やりたいことがいっぱいいっぱいあるから。...でも、実際に教員になり、たくさんの子どもたち・地域の方・同僚に出会い、僕はずっと教員を続けたいと思っています。辞めるのはいい。でも、決して辞めさせられることは受け入れない。そんな思い。

根津公子さんは、今どんな思いでいるだろうと、考え続けていました。辞めさせられることが、ほとんど見えているのです。そして、それは「自己責任」として知らんぷりされかねないのです。僕なら、お腹がぐつぐついっているはず。辞めるのはよいけれど、辞めさせられるのは嫌。しかも、理不尽な納得のいかないことで。僕は、あと20年は教員をし続けたいです。20年間、ずっとこんな日々を過ごして行くのだろうか。僕は、いつか独りか。今、既に? いや、そんなことはない。全国に仲間がいる。...そんなことを考えていました。ふと、僕のPHSのメール受信の青ランプ。見ると「解雇阻止 水道橋へ」 Yさん、ありがとう! そして根津公子さん、闘いはまだまだこれからだね! 長いため息をついて、僕は南大沢学園養護学校には向かわず、ゆとりを持って品川に降り立ったのでした。

品川から新宿へ。いつものように模索舎に向かいます。僕は、いつも個人。だから、あれこれと情報収集。左翼も右翼もみんなありです。そしていつものように、イシバシ楽器。中古ギター見て、中古エフェクター見て、上の階に上がりパーカッション。あらまー、ジャンベがあるじゃないですか。明日から値上げ? 持ってみると思ったよりは軽い。16日の反核燃デモで、大きいちゃんとしたジャンベはいいなぁと思っていたんです。横にして座れちゃうような、木の奴。思いきりのよいことでは定評(?)のある僕。ジャンベとケースと鈴を買いました。喜納昌吉さんは「全ての武器を楽器に」と言いました。僕は、いい言葉だなぁと思います。でも、どこかでこういう言葉も聞きました「全ての楽器を武器に」 これは、今の僕にピッタリです。楽器こそ「武器」です。人を殺さない「武器」。理不尽なことを解いて行く「武器」としての楽器。僕は、新宿から水道橋に向かいました。

水道橋は、いい感じに桜が咲いていました。僕は、東京都教職員研修センターに向かいます。みんないました。挨拶し、いろいろお話しました。いつもののぼりを電柱にしばりつけて、僕はジャンベを叩きました。「今、買ってきたんだよ」って言うと、みんなあきれ顔でしたが、ジャンベには関心が集まります。障子紙のぼりにも。

みやぎにも来てもらった河原井純子さん。根津さんに引き続いて解雇が心配されていた彼女は、停職6ヶ月ということでした。根津さんが解雇されなかったのだから、河原井さんの停職は出たとしてももう少し短いのではないかと思っていましたが、そうではなかったのですね。いろんな方がマイクを持ち、一人ひとりの言葉で訴えていました。僕の障子紙のぼりには「自由」「じゆう」と書かれていますが、きっと自らの自由を奪う最初の人は自分なのかもしれないと、そんなことを考えました。自粛・自制こそ、自らの権利を奪うことに繋がるのだと、水道橋で思いました。

路上での行動の後、全水道会館に移動して、集会・記者会見でした。部屋は、熱気でむんむんでした。いろんな方が話しましたが、処分を受けた教職員のお話がとてもとても印象的でした。ここでは詳細には書きませんが、みんなそれぞれに熱い思いを抱いて抵抗しているんです。時間の関係で短くしてくださいと言われつつも、やっぱり語りたいことがある。一人ひとりの違い、一人ひとりにそれぞれのバックグラウンドがあり、それは大きな圧力に負けていないということ。根津公子さんや河原井純子さんお二人の名前が上がることが多いのは(処分の重さから)仕方ないことですが、「日の丸・君が代」強制に抵抗する人が、たくさんたくさんいて、それぞれに熱い思いを抱いていることは、ぜひ多くの人に分かってほしいことだと思いました。根津公子さんの解雇をさせなかった今日から、暴政に対する反撃は始まるぞ!という思いです。記者会見後に、何人かの方とコーヒー飲みながら話しましたが、僕の思いは僕だけの思いではないようです。さあ、今日から「自由」への道をより一層大胆に切り開いて行きましょう。

水道橋から東京へ。新幹線に乗り、仙台へ。そして、深夜にはならない夜に、家に到着したのでした。さあ、明日から2008年度です。

写真は、新幹線の中から撮った京都です。いろんな町に家があり、それぞれの家に住んでいる人がいる。車が走って入れば、運転している人がいて、その人には生活が、歴史がある。

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