今日は、何としても起き上がるんです。連れ合いぴよさんのお父さんお母さんと会う約束があるんです。年末に伺う予定が、僕が新宿のホテルで腹痛を起こし通院し、そして伺わず終いになってしまい、僕はとても申し訳ない気持ちでいました。だから、インフルエンザで布団の中で横になりながら、今日は復活期限最終の日と決めていたんです。
とは言うものの、まだ本調子ではありません。本当は、連れ合いぴよさんと朝の電車で仙台に行き、一緒に新幹線で東京に向う予定でしたが、僕はゆっくりと出発することにしました。ぴよさんを松山町駅まで送り、家でしばし横になり、日記の更新をして、昼に家を発ちました。仙台への電車はすぐにはなく、土日切符なので、陸羽東線を使い古川へ行き、そこからの新幹線というルートを選びました。当初は、都内の美術館でのあるワークショップに参加する予定でいましたが、これもパスすることにしました。学芸員さんにメールを送りました。次回よろしくです。
古川から新幹線に乗り、仙台で「はやて」に乗り換えました。松戸でぴよさんと待ち合わせ。音楽を聴きながら、ぼんやりと揺られていました。ふと大宮で、飛び降りました。新幹線がホームに着いてからの思いつきで、降りたんです。ああ、ぎりぎり! まったく、僕ったらねー。京浜東北線で南下し、川口で降りました。川口市民病院を見てみたいと思ったんです。
先日、おばあちゃんの命日だったんです。父さんからのメールで知り、母さんと電話して、いろいろ話しました。ああ、おばあちゃんが亡くなってから、随分経つんだなーと、振り返りました。僕が、学生の頃でした。多分、急行八甲田に乗ったのは、あのときが最後だったんじゃないでしょうか。川口市民病院に行ってみたら、CPUに移動していたおばあちゃんに意識はもうないようでした。春休みになったらもう一度来ようと思っていた訪問だったのですが、僕が一緒に泊まった夜に、おばあちゃんの容体は急変し、そして亡くなったんです。おばあちゃんが吐いた血のこと、おじいちゃんが一所懸命に脚を曲げ伸ばしマッサージしていたこと、CPUから見える夜勤の医師がミカンを食べていたこと、早朝階段の踊り場にある公衆電話であちこちに亡くなったことを伝えたこと...。
川口駅前は、うんと変わっていました。市民病院は駅からすぐ。行ってみましたが、それらしい建物はありません。20年前でもかなり老朽化していたので、移転したのでしょうか。iPhoneで調べたら、もう10数年前に移転していたんですね。僕は、あの頃を思い出しながら、しばらく歩きました。昔のことを知っていそうな猫に会いました。でも、饒舌ではなく、僕をじっと凝視するだけでした。
川口から日暮里へ行き、そこから松戸へ。ぴよさんと合流し、お父さんお母さんの待つ家に行きました。ああ、たどり着いた!って思いました。ほっとしました。お隣りのおじさんおばさんの家にもご挨拶に行き、語らいました。その後、お父さんとお母さんとご馳走を頂きながら、お酒も飲み、和やかな時間を過ごしました。ああ、このひとときに感謝です。写真は、今日の川口駅前です。