今日は、広島に行く日です。日教組の全国教研なんです。強風で電車が動いているか心配。少し早めに出ました。松山町駅の跨線橋の屋根裏で小さい雀たちが丸くなっていました。運休も遅れもあったようですが、とりあえずちゃんと仙台空港に着くことができました。ああ、ほっとした。飛行機も強風ではあるものの、運休ではありませんでした。同じく広島に向かう仲間に会いました。2組の御一行様。1組目の皆さんは、今夜予定している「日の丸・君が代」問題自主教研に参加するってことで、サンクス。もう1組の皆さんは、当初参加予定が別集まりが入ったとのこと。ちょいとがっかりでした。
空港の本屋さんで買った角田光代さんの文庫本を読みながら、広島へ。少しだけ揺れましたが、まああんなもんですな。広島空港からは白市にバス。白市は最寄りのJRの駅のあるところです。5年くらい前の夏に利用したことがありました。今回も同じです。駅のあたりをうろうろして、ぽかぽか陽気の中の暢気猫でもいないかと思いましたが、梅が咲いているだけで、猫は会えませんでした。
白市から電車で広島へ。車窓を眺めていると、マツダ病院とか見えて、ああ広島!って感じでしたなー。広島駅からホテルへ。電車に乗って八丁堀で降りて、うろうろ探しながらホテルへ。シャワーをさっと浴び、自主教研の会場に向かいました。途中、小さなラーメン屋に入りました。お店の人にいろいろ話しかけられます。昔ながらの広島ってどのへんに行けばいいでしょうねぇって話したら、みんな焼けちゃったからねーとのこと。そうねぇ。僕としては、猫が昼寝しているようなところで十分だったんですけどね。
そして、自主教研。いつもの顔ぶれ。久しぶりの仲間。僕のことを知っていてくださる方が全国にいるってことは、とてもありがたいことです。僕は、東京の仲間の本を売る役目を引き受けて、会場入ってすぐのところにいました。本以外にも、皆さんのレポートやちらしなどいろいろ置いていて、勧めたりしていました。僕も手ぶらで参加するわけにも行くまいと、昨晩A4判のミニレポートを作りました。こんなのです。いつも聞かれることをあらかじめ書いておいたってところですな。東北の小さな町から来ました。
宮城県の小学校教員 ○○○1 宮城県の教職員組合
義務制は、日教組の加盟している宮城県教職員組合です。組織率は3割。高校は、全教系の高教組と日教組傘下の宮城高校教育ネットワークユニオンがあります。2 「日の丸・君が代」強制反対
組合方針には「日の丸・君が代」の強制に反対と書かれているものの、組織としての闘いは組めていません。不起立不伴奏への処分はありません。私は、とくに決意することなく、普通に座っています。3 「指導力不足」教員排除:〈恣意的な指導力不足教員研修をなくす会〉
2000年から「長期特別研修」が導入されました。現場から排除された○○○○さんは2002年その不当性を裁判に訴えました。みんなで裁判支援活動を進めてきました。裁判傍聴だけでなく、県教委へ行き、市教委へ行き、駅で訴え、戸別訪問をし、みんなで奔走しました。2004年に現場復帰を勝ち取りその後国賠訴訟を続けました。2008年8月最高裁で敗訴が決定してしまいました。
現在、分限免職処分の不当性を訴える○○○○さんの裁判を、みんなで闘っています。2009年2月23日が判決です。
2002年以降、たくさんの方が相談に訪れています。多くの方が、職場で孤立を強いられ、組合からもレッテルを貼られ、相談する場所を奪われ、病気にさせられたりしています。研修センターに行ってしまってから助けを求める方が多いのです。日常の中での人と人とのつながり合いがとても重要と再認識しています。4 教職員評価制度:〈新たな勤務評定『教職員評価制度』を許さない会〉
宮城県では2004年から2年間の試行、2006年から本格実施されています。私たちは「指導力不足」教員排除制度や「優秀・優良」教職員表彰制度について問題視し、直接県教委に申し入れを繰り返してきました。それゆえ当然、職場の分断を目的とする評価制度には反対です。白紙提出・不提出を続けています。
2006年夏、私は「評価制度に抵抗するなら処分する」と恫喝を受けました。処分を許さないため多くの方の「声」を寄せてもらい(ありがとうございました!)、みんなで県教委へ行きました。大勢で町教委へ申し入れに行きました。職務命令書は出たものの処分は出ませんでした。2006年以降、毎年県教委への申し入れ活動を続けています。
なお、教職員組合としては、「日の丸・君が代」強制反対同様に、反対の立場ではあるものの、具体的な行動を提起できていない状況です。しかしながら、長く呼び掛けそして具体的に活動してきたことにより、理解の輪が広がっています。粘り強く闘うことは大切だとあらためて感じています。5 改憲阻止の具体的な日々
私にとって、改憲阻止は大きな課題です。投票法が作られ危惧しています。電車に乗っているときなど(この車両に乗っている人の何人が改憲反対と投票するだろうか)と考えることがあります。実のところ不安です。「憲法を守ろう」と繰り返すだけでは、あっさりと権力にやられてしまいそうです。「平和」や「自由」「権利」も、頭の中で思っているだけでは、それだけなんだと思います。実現する・奪われない具体的な行動を、私は日常の中(学校現場でも)しています。たぶん今日ここにいるのも、そのためです。6 いろんな視点の仲間という豊かさ
「連帯」「団結」「ネットワーク」など様々な言葉があります。運動の中でよく聞きます。しかし、それを「組織任せ」や「唱えるもの」にしていないか、日々自らを省みます。「平和」「自由」「権利」などと同じです。実際に自分が動かなければ「連帯」「団結」「ネットワーク」も空しくいつものお馴染みさんグループ≠ノなってしまいます。日々の出会いは、何と貴重なものか! 今日ここ広島で出会った皆さん一人ひとりと、私はおしゃべりしたい気持ちです。
私は、子どもたちに「自分の言葉で話すんだよ」と言います。「誰の話も、最後まで聴くものです」とか「最後まで話しなさい」とかよく言います。それゆえ私自身もしっかりと「自分の言葉で、最後まで話し、どなたの話も最後まで聴くこと」と誓っています。息苦しい状況を切り開くことは、とても幸せな闘い。文字、言葉、歌、絵、芝居、あらゆるパフォーマンス...顔が見える、人間が感じられる闘いを、これからも大らかにしなやかに続けていきましょう。東京都の学校における「君が代」強制についての報告。そのレポートを、昨年に引き続き、日教組が排除。都道府県で選出されたレポートなのに認めず、おまけに傍聴券さえ出さないという顛末。これは、うーんと問題です。広島県教組では、「ビラをまかない」などの「誓約書」を提出しなくては傍聴券を出さないという横暴。どんな組織も大きくなると、民主主義が薄れ軽くされてしまいます。「代表」や「役員」が、一人ひとりの違いを均してしまい、結果として「権力」になってしまうということ。それは、労働組合でも政党でも、どんな「進歩的」な組織でも同じなのだと感じます。しかしながら、許せない横暴を放置することはなく、一人ひとりの人は、抗議したり抵抗したり、しっかり意志を表しながら、明日を切り開くのですなあ。
全国各地からの報告もありました。宮城からは僕。「○っ○ーに似てきた」と自分たちのことを話す5年生のことを話しつつ、教員の持つ影響力の大きさ(怖さ)を話しました。それゆえに、私たちはしっかりと人間として子どもたちの前に立たなくてはならないということ。教員免許更新制度についても話しました。「このような」集まりでは大きく取り上げられない傾向があるということ。それは、参加者の多くが更新に関係ない世代であるためなのでは? いろんな集会に行くたび「今年で退職です」とか「もう職場を去りましたが」という話を毎回聴きます。若い人には、伝えるべきことを伝えていますか? 意見を異にする人にもしっかり話していきましょう。かつて学生の前で教育基本法改悪してはならないことを話したとき「天皇ヒロヒトが死んじゃいそうなとき、自粛自粛だったじゃないですか」って何の疑問もなく話した僕。学生たちの反応は、今一つ。そこで、はっ!と気付いたことは、天皇ヒロヒトが死にそうなとき、学生たちはまだ赤ちゃんだったということ。20年前の出来事を、みんなが知っているとは限らず、知っていることを「当たり前」にしてはいけないと、そのときうんと感じました。そして、「語り継ぐ」っておばあさんおじいさんの仕事かと思っていたけれど、そうではなく私たち一人ひとりの仕事なんです。これからも学校現場で仕事していく後輩に、文化を伝えていく努力はしていきましょうね。会場の片づけをして、みんなで居酒屋に行きました。掘り炬燵にぎゅうぎゅうで入り、みんなでわいわい。九州の人、広島の人、首都圏の人。図工の話をしたり、心と体を切り離せない話を深めたり、とてもとても充実の時間でした。ここには確かに仲間がいる!という実感。とてもとても幸せです。感謝です。
写真は、今日の広島の川です。