昨日へ    2010年08月05日   明日へ

早朝に起きました。旅ギターのナットの調整がまだなのですが、旅ギターの必要性が出てきて、頑張って治します。というのは、今日山梨に旅立つのですが、山梨に集う仲間が「ギターを持っていく」とのことでしたので、ならば僕もってなわけなんです。カホンやジャンベも持っていきたいところですが、バイクに積んでいくには限界があります。まして、今回は予定はっきりしない長旅です。割れたナットを交換したら低過ぎで、音がびびります。高いものにしたら、ローコードがめちゃんこ押さえ難い! ♭♭にチューニングして2フレットにカポを咬まして、よしとしました。でもチューニング調整が面倒くさいなー。

仕事行ってらっしゃいと連れ合いぴよさんを送り、さあ旅支度をしようかと思いつつ、ああ日記の更新のほうが先だぞと、Macの前に向かいます。旅支度は、ぱぱっとできるんですな。若干の着替えにカメラ(E3、GR2)と、旅ギター(Martin バックパッカー)、ブルースハープ(A、C、G)、足に巻く鈴。一応、コンパクト1人用テントと漆の薬も。結局2時に出発。バイクで山梨に向かいます。山梨の十谷温泉に、明後日の昼に着けばいいんです。さあ、どんなふうに向かおうか。

松山町を出て、信号で止まり、考えます。何となく左折、松島方面? ふと、白石の中華亭の中華そばを食べようというテーマが頭に浮かび、三陸道に乗りました。岩沼で降りて、4号線を行きます。懐かしい道、かつて行き来した国道。白石の中華亭は、僕が新任教員の頃、土曜日に職員室で食べていた味なのです。僕が新任だった頃は、土曜日は半ドンでした。2時間目が終わった休み時間に、日直の先生が注文を取りに回りました。「今日は、中華亭だよ」ってな具合に。子どもが帰った後、職員室で昼食を食べながら、いろいろ語らったもんでした。ああ、20代の思い出。開いているかなーと思いながら、行ってみたら、ああよかった! 営業中! 「中華そば一つお願いします」「普通盛りでいいのね」「はい」 細麺、魚出汁、油が浮いている、溢れるぎりぎり丼。ああ、この味! 縮れ麺のイメージでいたのですが、真っ直ぐ麺でした。ああ、ごちそうさまでした。

白石の街から、また4号線へ。セローやFanticで遊んだ鉢森山を見ながら、斎川、越河。越河を越えて、貝田。何となく左折して、かつて走ったことがある梁川を行きます。かつてセローで来た道を僕は覚えているだろうかと、きょろきょろしながら行きました。あちこちで桃がいい感じに実り、百日紅が輝いていました。懐かしい道を、45歳の僕がまだ覚えていたことが分かり、ほほーと思い、これまた懐かしい藤田の街、桑折の坂道、飯坂の町並み。飯坂温泉に入るとよかったのですが、もう少し南下したかったので、飯坂インターから東北道に乗りました。上半身はパンチング革ジャケット(でも半袖)で、下半身は禁断の短パン。バイクブーツは履いているけど、本来ではないですなー。タンクカバーをしているので、半ズボンでもホールドはし易く、ああよかった。

東北道でずんずん行こうと思ったら、あらまー雨! ばたばたと打たれ、いやはや痛い! でも高速道路は、拘束道路。次のサービスエリアまでは、そのまま打たれるのでした。SAで「暑〜い!」と雨具を着て走り出すと、今度は晴れて、またSAで着替え。ふーって感じですな。福島県も南になったところで、そろそろ泊まるところを決めなくてはなりません。ふと「田中正造」というテーマが浮かび、栃木県佐野で宿を探すことにしました。夕焼けを見ながら、知らない町を走ります。とりあえず、鉄道の駅に行けば何かあるだろう。佐野駅に辿り着き、そしてビジネスホテルを見つけました。ああ、ほっとした。部屋に入り、シャワーを浴び、汗かいた下着を洗濯。ビーチサンダルに履き替えて、お出かけ。

カメラもって知らない街をふらふら歩くのは、いいです。暗い中、家庭の団らんが聞こえるような路地を行きます。見ようによっては、不審ですなー。しばらく歩き、猫を見つけ、駅前で歌う若者を眺めながら「ゆずコピーはべだだのぉ〜」と心の中で思い、結局焼き肉屋さんに入りました。カウンターで、煙たてながら軟骨を裏返し、生上(ビール)と、生中(発砲酒)を飲みました。お店を出て街を撮っていたら、おじいさんが来ていいました。「今日はこんなに人がいないけれど、来週はいいよ。お祭りになったらねぇ」と、佐野のいいこといろいろと話してくださって、嬉しかったです。ああ、旅ですなー。
緊張をずっと強いられると、自らを守るため、人は人であることを捨てることがあります。きっとその先に、幸せはない。休むとは、自分を、人間を、取り戻す営み。なくてはなりません、と思う佐野の夜でした。

写真は、今日の福島の百日紅です。

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