昨日へ    2010年08月06日   明日へ

栃木県佐野市のビジネスホテルで目を覚ましました。8月6日です。シャワーを浴びてから、テレビのスイッチをつけました。8時です。ヒロシマです。アメリカを代表して参列している人の回りには警備のサングラスの人が囲んでいて、何だか映画のようでした。歴史とは何か、考える8月6日です。

ビジネスホテルを出て、バイクを田中正造の生家に向けました。向けるといっても、どのへんなのか探しながらです。あちこちに、僕の好きな百日紅が僕の好きな感じの色に輝いていて、嬉しかったな。結局分からずでしたが、その分いろいろ回れたような気もします。

朝ご飯を食べていなかったので、佐野ラーメンを食べました。ある本を見て訪れたのですが、うーむまあまあという感じ。つくづくあの本の食べ物に関するお勧めは当たらないですなー。ま、食べたのでよしです。

昨晩、ホテルで気付いたこと。僕は、パンツとタンクトップと靴下しか持ってこなかったんです。いやはや。山梨での集まりの後で、ある高校に申し入れ行動をする予定があります。何となく、タンクトップではなくて、せめて半袖があったほうがよいように思いました。そこで、佐野アウトレットに行ってみたんです。あれこれ見ました。いろんなお店があるもんですなー。白いシャツを買いました。お客さんは、犬を連れた人がうんと多かった印象です。

アウトレットお買い物の後、田中正造のお墓を探しました。すぐに見つかりました。雲龍寺です。ここで、谷中村について簡単にまとめてみましょう。

1890年渡良瀬川大洪水により足尾銅山鉱毒垂れ流し。1900年陳情に行くも解決せず。しかも訴える農民逮捕。1902年渡良瀬川下流に貯水池を作る計画浮上。川辺村・利島村が予定地となったが、反対運動で頓挫。1904年谷中村案浮上。栃木県会は秘密裏に谷中村買収を決議。土地収用法適用を発表。谷中村廃村。「村に残れば犯罪者となり逮捕される」と圧力。1911年北海道佐呂間別原野への移住。しかし移住地での成功は難しく...。というが、大急ぎでまとめた谷中村廃村までのあらましです。

田中正造は、農民の側に立ち、政府に訴え、天皇に訴え、そして実際に農民と行動を共にしました。雲龍寺は、一連の行動の事務局的存在だったとのことでしたが、さて訪れてみると、ここに何千人もの人が集まったら、さぞすごい様子だっただろう!と感じました。雲龍寺のすぐ前には堤防があり、堤防を越えると渡良瀬川です。当時、堤防の高さはどんなものだったろう? みんな歩いて来たんだろうに、飲み水はどうしたんだろう?など、思いが馳せます。今日は、セミが鳴き、仕事を休憩している女性が語らいながら、お茶を飲みながら、明るく楽しい笑い声を響かせていますが、ああ、たくさんの人の魂、ここにあり。そう感じたのでした。

続いて、田中正造記念館に行ってみました。ありました! 駅のすぐそばです。どうやら学童保育みたいなところと併設の様子です。けれども、残念。今日は閉館日でした。覗くと人がいるのですが、無理を言うのも失礼なので、残念。またいつか。

谷中村の跡を見に行こうと思いました。けれども、そろそろ昼ご飯。おそば屋さんに入りました。あまりテレビ番組を見ない僕ですが、いつだったか「県民ショー」を見たんです。すると栃木の「大根そば」が紹介されていました。大根細切りをもりそばと一緒に食べるものです。興味がわいて、頼んでみました。感想は、頼まなきゃよかった...。そばはそば。大根は大根。別々にしなくちゃ、それぞれに失礼でした。粉をお店でひいていて、しかも十割そばだったので、ああもったいなかったって感じ。

そば屋を出て、谷中村跡に向かいます。地図を見て驚いたのは、数km範囲に4県があるということ。栃木県と群馬県と埼玉県と茨城県。僕の中の常識として、県境は大きな川や山って感じなのですが、ここではまるで市町村境って気軽さでした。

谷中村跡に着いて、墓碑などが集められたところに行きました。魂が宿った場所でした。驚きました。石仏たちが、歴史を語っていました。一面の葦の中を走り、役場跡など訪ねました。地図には、人の名前が記され、その名前を見ると、ここでの暮らし、ここでの悲しみそして怒りが、こみ上げてくるのでした。僕は、夕張を離れてから夕張を想い続けています。そして核燃処理施設や原子力発電所・空港や軍事基地が作られ有刺鉄線が張り巡らされる土地を、訪れる旅を続けながら、「ふるさと」を考え続けています。人がもともと暮らしていたところ。人がもともと暮らしていた暮らし方。

谷中村跡を後にし、僕は東松山に向かいます。丸木美術館に行くためです。途中、秩父の鉱泉旅館に電話をして、予約を入れました。素泊まりです。ひとまずほっとして、丸木美術館へ。

8月6日のヒロシマの日。丸木美術館は、歌声に包まれていました。たくさんの人が集い、合唱が響いていたのです。僕は、絵を見ながら、ヒロシマを想います。「つつじのむすめ」の原画。ああ、とても愛しく息苦しい物語。読み聞かせをしても、小学生にはまだ伝わりきらない思い。「原爆の図」「南京大虐殺の図」僕が初めてここを訪れた高校生の冬。あのときからどれだけの方が、この絵の前で考えたことか。小さい子がたくさんいて、少しほっとしました。丸木さんのアトリエ跡を覗いたのは、今回が初めてでした。夕張の家を思い出すような佇まいでした。たくさんの使いかけのパステルが愛しいです。武田美通さんの作品を見ました。思いはストレートですね。恐ろしくもありつつ、とても無駄なく美しいというのが感想です。針生一郎さんを偲ぶ集いが夕方から行われるということでしたが、僕は美術館を出て、秩父に向かいました。

秩父と言えば、困民党です。僕は、まだ不勉強で、どこでどんなことがあったか、まだ説明できるほど知識がありません。これは宿題です。困民党の歴史を学ぶ。武甲山の姿に、何かかき立てられながら、夕日が沈みつつある道を行きました。武甲山は、筑豊の春香岳と似た匂い。密教の仏さまの背負う炎を連想します。

鉱泉の宿に到着しました。おしゃれな佇まいです。民芸調な感じです。たいそうご丁寧な応対でびっくりでしたが、ま、素泊まりのお客さんです。部屋に入り、そして夕飯を食べるために、またバイクで走りました。宿に来る途中に見けたんです、珍達そば。いつぞ食べに来たことがあります。バイク雑誌アウトライダーで紹介されていたのを見て、辿り着いた珍達そば。ま、ラーメンなんでけどね。

珍達そばで、珍達そばを注文し、餃子のお持ち帰りも一人前。帰り道のスーパーで缶ビールを買い、宿に戻り、お風呂に入りました。露天風呂が、一人用溢れ系湯船があり、嬉しかったです。上がって、餃子とビールでぷはー! ゆっくり休んだのでした。

写真は、今日の丸木美術館での1枚です。

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