昨日へ    2011年06月14日   明日へ

今日は、体力テストの日でした。僕は、立幅跳びの担当。全校みんなの名前をだいたい覚えていることを確かめ、嬉しく思いました。覚えてあげるので、みんなにも覚えてもらえるんだなっ。

時季が遅くなりましたが、5年生のバケツ稲の余りのもみを分けてもらいました。理科室の脱脂綿バットで水耕してみましょう。

放射能は、水に流すわけには行きません。いつまでも、付いて回ります。無間地獄とも言えそうです。子どもたちの被爆が心配な小学校教員。放射能という「モンスター」が出現している今。被爆防止を学校に訴えること躊躇しないでほしいと思っています。「モンスター」と言われることを嫌い、不安増やすことありません。学校が即座に「正解」を導くことは難しいですが、行動しなければ変わりません。やっと宮城県内の学校で、放射線量測定が始まりました。プール掃除が終わり、プール開き朝会もありましたが、放射線量測定後まで、ひとまずストップです。いやはや。ちなみに、この放射能が他国に及んだとき、この国の政府は、どんな態度・行動を取ることができるか。その国に、避難することも含めて、どんな「想定」をすべきか、うーんと考えます。とっさに、緊急避難を命じられ、私は何を手にして、この部屋を出るのか。何を置いてけぼりにして、この家を捨てるのか。そんな想定を、毎晩している。これは、福島の実際。拭えぬ歴史。放射能を吐き続けるゴジラに、人々はひれ伏すのみか。全ての子どもたちに青春を、恋を。2011年3月現在我が子がいないことを幸いと感じている自分。何ともゆがんだ心持ちです。とりあえず小学校教員としてできることを全てしていかなくてはならないのです。しかしながら子どもたちに禁じることだけ押し付けたくはない。となると疎開が現実的かもしれません。誰がどのように担うか。それが問題です。

生まれたときから閉山の夕張。思春期に訪れた父の故郷・利尻は、鰊漁の残像。水俣を訪れ、熊本県庁の座り込み。下北巡り、女川通い、そして2011年。国道16号線の青春を想いながら、あたらに単位を覚えています。ああ「マイクロシーベルト」。「ふるさと」を歌おう。

写真は、今日の稲。芽を出し始めました。とても可愛いです。


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