昨日へ    2011年07月21日   明日へ

夏休み初日です。そして家庭訪問週間初日でもあります。でも、僕は学級担任ではないので、家庭訪問はないのでした。

そこで午後から休暇を取りました。バイクで、本吉・歌津・志津川を回ってきました。石巻市の沿岸部は見ていましたが、南三陸町には震災以来行っていません。ちょっと遠回りしながら、気仙沼への道を行きました。本吉では、低いところと高いところの違いが、とても明らかでした。本吉から海沿いに南下します。小さな集落の復旧がなかなか進んでいないのは、石巻同様ですね。でも、瓦礫の撤去は進んでいて、まず道路があるということ。そして、瓦礫置き場は山になっていること、たくさんの方の尽力のおかげです。

歌津の魚竜館が瓦礫の中にあるのを見て、津波を実感しました。知っているもの、ものさしになるものがあると、気付くことができます。そのままでは、そのままですから。ああ、大変なことだった。

志津川は、昨年の夏に貝原浩さんの展覧会のために何度か訪れたので、名残がどこかにあるかと思いきや、驚きでした。何もないんですね。五日町の商店街。川のそば。川の近くに、病院だったか、役場だったか、あったはず。バイクを降りて、歩きました。蒸気機関車が転がっていました。機関車の底って、こうなっているんだと、初めて見ました。ガソリンスタンドは、頑張っていました。

志津川から津山を通って涌谷へ。そして家へ。津波の痕を見ると、地震と放射能汚染への怒りが、薄まりそうな気持ちになります。家があり、道があり、もともとのところで暮らしているということ。志津川で放射線量計計測をしたら、松山町よりも低かったです。津山のほうが高かったのでした。目に見えず、匂いも音もせず、放射能は広がっていて、それゆえに怖いのだと、思いました。「ノーモアヒロシマ ノーモアナガサキ」というとき「唯一の被爆国」という言葉をよく耳にしましたが、いやはやまたしても「被爆国」です。僕も「被爆者」です。なんということでしょう。復興...まだまだ先が長いこと、感じた今日でした。

そんな宮城県でありながら、村井嘉浩宮城県知事は、宮城県内放射線被爆状況を、把握していないと思っています。知りたくない(知らせたくない)のかもしれません。牛だけ買い取りってことは、ないでしょ!? 出荷自粛? それは、収入禁止と言っているに等しいです。「復興」の名の下に、漁業権を大資本に売渡そうとしていることも、絶対に認められません。今日、海を見て、あらためて感じました。

中村とうようさんが亡くなりました。かつてつっぱってた学生時代「朝日ジャーナル」よりも、「ミュージックマガジン」でしたなー。私の抗いの底流。とうようずトークには、賛意ばかりではなかったけれど、中村とうようさんから、大きな影響受けました。ご冥福をお祈りします。

写真は、今日の志津川での一枚です。

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