昨日へ    2011年08月10日   明日へ

大阪で目を覚ましました。今日は、予定を入れていない日です。予定がないというのは、誰かと会うなど約束事がないということです。僕は、高野山に行くことにしていました。宿も連泊にして、荷物を置いて、カメラなどだけ持って、南海電車で行くのです。特急に乗るつもりでしたが、時間が少しあるので、始発駅の難波まで行ってみました。何となく散歩して、うどん屋さんに入り、かけうどんで朝食です。

高野山は、おばあちゃんが娘たち(僕のおばさんたち)と訪れたことが印象的です。真言宗なんです。空海なんです。信仰とか血族とか、それらに服従してのことではなく、おばあちゃんの思い出の地・ずっと行きたがっていた場所に、行ってみたいとそう思ったんです。どのくらい山深いんだろう。修行する場所は、どんなだろう。そんなこと思いながら、特急電車に揺られました。

終着駅で電車を降りて、ケーブルカーに乗り換えます。すごい傾斜を登っていきます。カーというより、リフトって感じですね。ケーブルカーを降りたら、バスに乗ります。お客が多くて、2台のバスが一緒に出ます。僕は、奥の院まで、すなわち一番奥まで行きました。なるほど! でも、車がいっぱい走っていて、当たり前かもしれないけれど「車で来れる場所なんだぁ」って思いました。墓碑が並ぶ中、杉の木を見上げながら、歩きました。水向け地蔵は、おもしろい写真が撮れそう。けれども、メインカメラE-3と比べると、オートフォーカスがすばやくないPEN(初代)なので、かなり枚数を撮りました。奥の院で合掌。すごく珍しいことに、お賽銭も入れたし、ろうそくも灯しました。

梅屋さんがあったので、梅干しと蜂蜜を父さん母さんに送りました。お土産屋さんで、連れ合いぴよさんに梅のお菓子、自分用に麩を買いました。宅配便で出しました。ちょっとぜいたく。でも、持って歩くよりもお金払って運んでもらうほうがよいのでした。

金剛峰寺では、書道展を見ました。小学生の作品を中心に見ましたが、「お手本」関係なく、いい字はいいね。そんなこと思いました。屏風絵は撮影できないことになっていました。座敷に上がってゆっくり眺めたかったな。できれば、ごろりとして。休憩場を含めて、ごろりとしたりはできないのでした。そういえば、奈良の中宮寺に行ったとき、木造菩薩半跏像の前で誰もいないし、いい風が吹くからと、ごろりとしたら、掃除する女性に「仏様の前ですよ」とたしなめられたことがありましたっけ。

大塔はとても大きかったです。人がいないと、縮尺が分からなくなる感じ。その奥の塔がとても素敵でした。カーブといい、揃った格子といい、美!でした。椅子持っていって、ずっと眺めていてもよかったな。ギター弾けるとよかったな。きっといい歌できるな。空海さんに聴かせたいな。そんな佇まいでした。

太平洋戦争は、とても大変だったはず。たくさんの人が傷つきました。傷つけられ続けています。けれども、人は越えていくことがきっとできます。留まってい続けない。人は、強くないけれど、きっとたくましい。思うに、江戸時代の飢饉はそれは「未曾有」だったことでしょう。でも、人は歩み続けている。思うに、氷河期をよくぞ越えたね。太陽に感謝し、虫たち、鳥たち、魚たち、みんな生きてきたのですね。水俣・阿賀野川、いろんなところで取り戻しきれない罪を、何とか努力し取り戻す営みは、諦められていない。原子力発電所からの放射能拡散という、今。全然「安全」でないし「安心」もできない。けれどもね、もう何もかもおしまいだ!と、未来を投げ捨てることは、しないですね。高野山で、そんなこと思いました。ずっとずっと諦めない日々。

バスに乗り、ケーブルカーで山を降り、急行列車で難波に帰りました。うとうと眠ったり、なだいなださんの岩波新書「権威と権力」を読んだり。難波で、焼き鳥屋さんに入りました。カウンターに座り、仕事しているのを見ています。オーダーの量と種類に、厨房が付いて行くのに必死。暑く、イライラした現場。二階からインターホンでまたオーダー。聞こえているのに無視している様子も少々。人のふりみて...学校現場は如何に?と思うのでした。

みんなで何とか幸せの予感を見つけよう。みんなで切磋琢磨し誰かを不幸にする日々は、もうやめよう。そんなことを思う大阪の夜でした。釜が崎に戻り、お風呂に入って、眠りました。

写真は、僕が一番好きな塔です。

昨日へ      明日へ

はじめのページを新しく開く