小岩勉「女川海物語」

中略 1992年「女川海物語」という本を出版した。予想はしていたがあまり売れなかった。写真誌の書評も酷評だった。「事故が起きたわけでもない原発の町を撮ることの意味はどこにあるのか」という内容に、絶句した。

 直後に仙台と女川で展覧会を開いた。女川での会場にいると、ニッコリ笑って祝儀袋を差し出す見覚えのある人がいた。今まで実際に会った事の無い、女川町長だった。驚いている私をよそに写真を見始め、船上の漁師の写真を指して「おお、助雄ちゃんだ!これ、助雄ちゃんだよね」と弾んだ声で聞くのだった。町長は当然のことながら原発推進の代表格である。そしてその指す漁師の助雄ちゃんは反原発で家族ぐるみで闘ってきた人なのだ。当時おそらく60代だった町長も助雄ちゃんも、小さい町の普通の幼なじみだったことを初めて知った。この町に原発が残した傷は、こんなに深いのかと、そのとき思い知った。

 それからちょうど20年、女川という町が、町ごと海にのまれ、壊滅してしまったということを、何ヶ月も信じられなかった。写真を撮るということも、全く思い浮かばなかったばかりか、自分が写真家であることすら忘れていた。

 女川に行ったのは、避難所から仮設住宅への入居が終わった秋だった。写真集を車に積み、一番世話になった集落へ向かった。なぎ倒された家々の間の小屋で作業している人が見えた。思いつく知人の名をあげ安否をたずねると、すぐに居場所を教えてくれたが、皆町外にいるという。それからすぐ、お互い顔を見合わせ、同時に「あっ」と叫んだ。会話したことがなかったものの、写真集に写っている人だった。本を渡し、少しだけ話して帰った。車のルームミラーに映っているその人は、視線から消えるまで、ずっと立ったまま本を見続けていた。

 事故が起きたわけでもない原発の町を撮ることの意味を、今なら少しだけ理解してもらえるだろうか。

小岩勉 「ミルフィユ05」赤々舎刊(2013)より抜粋