2012.06.02
北山のアパート(6/02)今日は、仙台で教職員組合の定期大会です。僕は、修正案を持って出かけます。カブで仙台は初めて。修正案は、「子どもたちを放射線から守ります」と「職員評価制度を廃止するために」の2本です。ここには詳細は載せませんが、エッセンスだけ載せましょう。
「子どもたちを放射線から守ります」
④ 放射線被曝とその可能性による不安をできるだけ取り除くための取り組みを進める。
1)全ての学校は、放射線被曝を回避すめために、以下の防災ガイドラインを作成する。また数値の計測及び公表を行う。
・校舎及び校地内は、毎日複数個所を線量測定し、空間線量0.1マイクロsv以下であること。それ以上の箇所はその旨を明示し、立ち入れないようにすること。
・給食食材は、毎日全ての食材について線量測定すること。「不検出」ではなく、数値を公表すること。
・校地内土壌は、毎日線量測定し「不検出(一定基準値以下)」ではなく、測定数値を公表すること。
・放射線量測定のための機材及び人員配置をすること。
2)全ての学校は、学校教育活動の一つひとつの場面で子どもたちが放射線被曝を受けることが想定されるかどうかを精査することを義務付けるようにする。
3)全ての学校は、東北電力女川原発事故を想定した避難計画を作成すること。
説明)
放射線は、目に見えません。においもしないし、熱くもないです。しかも、直ちには健康に害を及ぼさないようです。けれども、放射線はアルコール消毒できません。水で薄めてもゼロにはなりません。燃やしても消えず、思いも寄らないところに集まることもあります。
原発が破損し、毒が撒き散らかされて、自然はもともとの自然でなくなりました。私は生きている間、もう大好きな花山の渓流で釣りをすることができないと思っています。漁師の友だち、農家の仲間の顔を想います。原発さえなければ!と、悔しくてたまりません。
地震が起こってから津波が来るまでの30分。そこでの判断が生死を分けることを知りました。限られた時間での中、何ができるか何をすべきか。それは、放射線対策にも同様のことが言えます。既に放射線物質は撒き散らされている今、私たちは何ができるでしょう。何をすべきでしょう。
地震があり高台に登り、津波が来なかったら、胸をなで下ろします。放射線については、どうでしょうか。福島は大変だけど宮城は大丈夫だと、押し寄せる放射線被害の波に関心をはらわず、子どもたちを危険に曝してはいないでしょうか。
子どもたちのお葬式に出るのは嫌です。年齢順に、自然に、生きて死んでいく。そうありたいです。子どもたちには、青春を謳歌してほしいです。子どもたちを放射線から守るための具体的な取り組みが今、大切です。
「職員評価制度を廃止するために」
⑧ 職員の資質向上と学校の活性化につながらない「職員評価制度」を廃止するために、以下の反対行動を広く呼びかける。
1)M教組の「職員評価制度」反対の輪を広げ・強めるために、全職員・全地教委・市民・マスコミに向けてのリーフレット・ちらしを配布する。
2)制度の定着を許さず、撤回・廃止させるために出来得るあらゆる方法を提案する。
・集会、コンサート、デモ、劇などをする。
・代理人(弁護士・組合役員・同僚・友人など)と一緒でなければ密室での面談は断る。
・制度撤回を求めるストライキをする。
・恣意的な評定をされ得る評価票の提出をボイコットする。
・自己評価票の「全体評価」評定をしないで提出する。
・自己評価票の「全体評価」総合評価の記述をしないで提出する。
・自己評価票の「全体評価」の記入をしないで提出する。
・自己評価票への記入をしないで提出する。
・自己評価票の提出をしない。
説明)
職員評価制度の試行からずっと、私は評価票記入提出を拒んでいます。なぜなら、抵抗しなくてはこの制度が定着してしまうと考えるからです。
臨教審が初任研を始めようとしていたとき、私は学生でした。学生時代に初任研導入に反対しました。けれども、導入初年度まさに初任研を受けることになりました。大変でした。理不尽なことがありました。友だちが体調を崩しました。そして、組合に入りました。組合は、初任研反対を掲げていました。反対ではあるものの、「みなし」を成果としていました。それでよいのか疑問を感じました。そして今、たくさんの管理制度を通してしまい、初任研だけでなくあらゆる悉皆研修・職員評価制度・免許更新制度・「指導力不足」教員排除システムが、息苦しい学校を作ってしまっています。「骨抜き」などではなく、ダメなものはダメと、はっきりした行動を追求するべきでした。
執行部の運動方針(案)は、目標です。〈⑧ 職員の資質向上と学校の活性化につながらない「職員評価制度」の廃止〉ですから。ならば、そのために何をするのか。私は具体的な行動を明記してこそ方針だと考えました。そこで上の9点を提起することにしました。これら全てを全うするように指示・指令することを私は考えていません。むしろ〈自己評価票の「全体評価」評定をしないで提出する〉一点だけでもよいかと思いました。けれども、ありとあらゆる方法で諸制度をストップさせなくてはならないと考えました。なお、今回の議案書のp14には、以下のような提案がされています。(略)
〈「職員評価制度」廃止に向けた取り組みが課題です。〉ならば、その具体を提案し議論せずに、どのように「課題」を越えられるでしょうか。沈黙は「反対」になりません。黙っているだけでは事態は悪化し、息苦しいシステムに私たち教職員そして子どもたちが窒息させらねかねません。これもまたパワハラや健康被害の温床になっていると言えるでしょう。「職員評価制度」の廃止を求めるべく、以上の修正案を提案します。
課題は山積です。ため息も少し、出ますな。大会の会場を後にして、北山あたりをカブでとことこ走りました。横田やに行きました。昔、連れ合いぴよさんが住んでいたアパートがどんなになっているか見に行きました。でかいバイクでは入りにくいところも、郵便配達と同じカブならとことこ行けますな。一棟無くなっていましたが、佇まいは変わりませんな。
夕方から、名取で介護です。仙台からそのままカブでとことこ行きました。介護を終えるのは深夜。その帰宅途中にある方と電話。長町のコンビニ前で30分。さっき帰ってきて、指摘受けたことあれこれして、ああやることたくさんあるなー。布団に入るのは、かーなーりの深夜でした。
2012.06.03
小出さん講演会(6/03)今朝は、町内会の早朝除草です。昨日はあれこれとても疲れた日でしたが、今年は町内会の班長当番なので、初回の除草に出るんです。昨晩は眠った感が少なくて、疲れをまた上乗せしてしまった感じです。
さて、小出さん講演会があるので、バイクで築館に向います。脱原発という一点で、いろんな人と出会いました。今回もまた、出会った方に紹介された方に紹介された方と出会う日です。体は疲れていましたが、気持ちは爽やかになれました。ありがとうございます!
小出裕章さん講演会は、宮城県栗原市のホールが満員(1000人)になる盛況。来賓挨拶は、市長さん。行ってとてもとてもとてもとてもよかった!のひとときでした。小出さん講演会では、たくさんの方に出会うことができました。Twitterだけでなく、実際に出かけ、顔合わせ、お話できること。感謝です。延岡市からいらしていた方とも、お話できてよかったです。全国あちこちで、手と手を繋ぎましょうね。
辛いときは、外に出る。疲れていても、動く。動いていると、辛かったことは、新たな何かで上書きされ、「そういうこともあった」になる。「経験豊か」とは、いろんな経験(辛いことや失敗…)をしてこそ、言えること。無事なばかりでは、豊かになれない。さあ今日も、昨日の次の日を歩もう。
2012.06.04
2年生(6/04)ふるさとの母親電話でよく「疲れないようにするんだよ」と言います。気持ちは伝わります。けれども、疲れない日々は送れない息子。今朝ふと思いました。「疲れを取るようにするんだよ」ならできないことはない。いやむしろ自覚すべきこと。疲れていい。その疲れを取ること、怠らないんだよ。
ガイガーカウンター受け渡しのため、今から古川に行きます。ちょいと雨降ってびっくり。でも、バイクにはよい季節ですなぁ。お会いしてお話できて、ああよかった。今日も感謝感謝でした。
ああ、月が戻りましたな。部分月食、静かに楽しみました。
本を読む時間を見つけられない。ギターはギリギリ音出しているけど、絵筆握れぬは、まあ毎度のこと。バイク通勤だと音楽聴けず、けれども風を聴き、雲を嗅ぐ。健康で文化的な日々を何とか何とか...
2012.06.10
川渡の道の水に映る空(6/10)今朝見た夢。仙台の小学校に転勤。被災して、間借り。広い部屋にぎゅうぎゅう入っている子どもたち。廊下で、かつて担任したmちゃんと再会。驚いた。mちゃんは、しゃがんで、首を指さす。跨いでと言う。そうすると、僕を肩車。あの頃してあげたお礼と言う。涙出た。福島駅の東口、西口。東京の山手線の駅のよう。タバコ臭い黒い屋根。階段に座って、食事。お豆のおかずが60ベクレル。父さん食べなくていいよ。
今日は温泉に入れた。嬉しかった。メンテナンスされた感じ。西多賀温泉(宮城県大崎市鳴子)に感謝。久しぶりに、バイクでとことこ森に入った。ほっとした。木々に囲まれ、ひとつひとつの表情に寄り添う幸せ。休みがなくちゃ、人間やっていけなさそう。というか、絶対休みは必要です!
町内会の防災会合に参加しました。地震についての内容が主でしたので、水害への対処もほしいことを話しました。また、放射線被曝についても話しました。ガイガーカウンターレンタルのことを話し、ちらしも示したところ、たくさんの方が関心を持っていることが分かりました。内心感じていても、話題にしにくいのかもしれませんね。
停電よりも、ふるさと失うことが、怖いです。思い出残して、家を出て、もう家に戻れないという想定は、停電と比べることができないくらい重いです。たとえ自動車に乗ることができなくなっても、パソコン使えなくても、原発事故と比べれば、まだ何とかなる。原発再稼働に反対です。
2012.06.12
プラタナスの絵(6/12)螺旋階段で地下のBAR。バンドが演奏。ロックではない。本番少し前。写真家長倉洋海さん似の演奏者と意気投合。彼は、僕と二人でバンドを始める。僕はGibsonのLを鳴らす。中古レコード屋のNさんの知り合い同士。世界の民衆の音楽を奏でよう。螺旋階段を上がり、途中には幾つもの扉。外に出ると雨だった。駅まで歩くつもりだったのに、ギターケースも濡らしたくない。木町通りの友だちのアパートは2階建て。階段をカラコロ音立てて上がり、その部屋は大広間。広い広い万年床。馴染みの犬がかまってくれと、転がっている。その犬の友だちも同じ。初めて会う犬。終電に間に合わなかった人が布団にもぐっていて、つまずいた。という夢。
原田正純さんが亡くなりました。私は、20歳のとき水俣に行きました。しばらくお世話になりました。いろんな方とお会いしてお話聴きました。焼酎飲みすぎて大変だった夜もありました。熊本県庁で座り込み。若かった私。傍らには、原田さんの本。石牟礼道子さんの本は文学で、原田正純さんの本が科学。川本さんが指弾していて、砂田明さんと土本典昭さんが、それらをたくさんの人に伝えている。そんなあの頃の私の水俣感。原田正純さんのご冥福お祈りします。
Macbook Air 新型になったのね。サイト見るだけ、想定するだけなら、タダ。毎度のこと。MacのUSB3対応って、どのくらい喜ばしいものなのでしょう。FireWire機器、辛いです。私400を変換してなんとか800に繋いでいたし。ま、買い換えるわけでないので困らないけど、ちょっとだけ不幸せ。
女川原発で事故が起こったとき、私はどのように避難するか、避難できるか、まじめに考える。廃炉すすめるべき。けれども、避難しなければいけない想定は、今すぐ必要なのだ。そして、その必要性は宮城県に限ったことではない。
2012.06.15
扉のあるプラタナス(6/14)今朝の児童朝会は、広報委員会の担当。新聞を作る委員会なので、みんなへのインタビューをしたのでした。
夜、放射線量測定器をレンタルしに行きました。ガイガーカウンターが必要な世界なんて、数年前ならSFでした。
原発に反対したり放射能を心配したり子どもの健康を守ろうとしたり。全国に多くの集いの輪。宮城同様。たくさんの輪のある幸せ。私はいろんなところに顔を出す。全部大切皆同じように。大きな組織になることはない。むしろ単一巨大組織ならきっと私は参加しない。
音楽と絵画造形と芝居の自由。もちろん言葉の自由。それらを守るとは、日々の一つひとつの事柄から。圧する者に抗すること。
2012.06.16
かみのやまの温泉で(6/16)今日は、山形県上山市に行く日です。「別姓を考える会 in 山形・かみのやま温泉〜まったり温泉うきうきさくらんぼツアー」です。車で南下しました。白石の中華亭に行きました。途中、20年以上前に担任した教え子とおぼしき大人を見かけました。おうちまで行ってお話するのは、さすがに控えましたが、何とも言えぬ感覚。きっと離婚して、子どもと別れたら、こんな気持ちなんじゃないかとか、いろいろ考えました。中華亭では並びました。ここも、並ぶのが嫌いな私を並ばせることができるお店。ごちそうさまでした。ああ、初任校の土曜日の味。2時間目の休み時間に、日直の先生がお昼の注文を取るために教室を回ったもんでした。
七ヶ宿を行くのは、何年ぶりでしょう。小原温泉のところは、いつぞバイクで鉢盛山を越えたとき以来。ダムを見たのは、いつぶり? 山を越えて、上山市。お城の近くのホテルが、今回の会場です。チェックインして、バスで来た人たちを迎えに行ったり、部屋でおしゃべりしたり、温泉入ったり、買い出ししたり。
宴会では、皆さんでそれはそれはまったりとゆったりと過ごしましたね。山形、東京、茨城、仙台、塩竈、大崎...。いろんなところから集った仲間! 子どもたちいっぱいでよかったですね。宴会場から部屋に移動してからも、みーんなでおしゃべり楽しかったです! 職場でも組合でも親戚でもPTAでもないのですが、何となく「地区子ども会」みたいな空気。ああ、縁ですなぁ〜と、幸せな気持ちになったのでした。企画してくれた山形の若いファミリーにとくに感謝です。
2012.06.17
サクランボ狩り(6/17)「別姓を考える会 in 山形・かみのやま温泉〜まったり温泉うきうきさくらんぼツアー」の2日目です。朝風呂に入りました。朝食を食べながら、またあれこれおしゃべりをしました。別行程の仲間に手を振りました。また会いましょうね。しなやかなつながりがとても心地よいです。
さくらんぼ狩りに行きました。私は「〜狩り」は初めてです。サクランボをたくさん食べたことはありません。行ってみて、なぁるほどね!って感じでした。ぷりぷりの実はおいしかったです。でもそれ以上に、みんなでわいわいするのが、楽しかったです。わんこそばと同じで、一人じゃつまんないでしょうね。みんなと一緒でよかったなぁ〜。
別れを惜しみつつ、また会いましょう!のご挨拶。人生は旅ですなぁ〜。幸せな二日間でした。
2012.06.20
台風一過(6/20)午前3時から急に風の音が大きくなってきた。夕方に、放射線量を測ったところで、また測ってみよう。19日夕刻と20時午前3時の放射線量、宮城県大崎市東部では大きな変化なし。最大瞬間風速40m/sの台風が福島第一原発を襲ったら、その進路にあたる宮城県(ここ)の空間放射線量はとんでもないことになるはず。そうならないこと祈る夜。気象庁台風サイトは、http://t.co/dEVFC4cb 「グチョル」って名前なのね。雨風なんとなく静かになり、うっすらとあけぼの。台風で深夜にめを覚ましたこと、いつぞあったなぁと思ったら、2001年9月11日のことだった。自分の日記で確かめたりするのであった...。
結局、大きな被害はなく、台風は去っていきました。子どもたちはお休みでも、職員は仕事。子どもたちがいないところで、たまった仕事をここぞとばかりに進めます。防災担当の私は、午前中に学区内巡視。台風一過の青空の下、ちょっとしたプチツーリング気分でもありましたな。竹林が倒れているところが結構ありました。お手入れしなくちゃいけないのですが、人手不足でしょうか。久しぶりにオナガを見ました。とても嬉しかった。ギャーギャーって鳴く声は素敵じゃないんですけどね。
今朝見た夢は、こんなのでした。夜の郊外。トイレに行きたくてキャンピングカーをおりる。面倒くさくて、パジャマのまま。長めの裾。ズボンもパンツも面倒だ。野球場の回り。トイレがない。誰かに見られたら大変。走り出す。パジャマの上だけなら、スカートに見えるかも。結んでない髪は、女性に見られるかも。ヘッドライトに怯える。軽トラックが追い抜く。トイレはない。女性と間違われないように、低い声を出す。獣の声のようで、かえって怪しく、懐中電灯が追って来た。走る。トイレは依然なく、キャンピングカーも見当たらない。
2012.06.21
松山町の麦畑田んぼ(6/20)今朝の夢はこんなのでした。6年生の国語の授業を受けている。国語と思っていたものは、算数。円形の部屋。回りでくるくる自転しながら、壁にぶつかると、ある角度のときのみ、部屋に入ることができる。その角度を求める。部屋には、親戚の叔父さんたち。「さとしを見るだけで泣けてくる」と涙流している。反原発の署名に札幌住所が多いのは、そういう理由。駅の階段を降りる。2年生が改札を出ようとするけれど、掃除をちゃんと終えていないから出られない。「帰りたーい」と叫ぶ都会の雑踏。
なんと夏に至ってしまったとは。毎年のことながら、いつのまにかにちゃっかりと。明日から冬への道。ちょっとだけ憂鬱なのも、毎年のこと。
夜に、組合地区の集まりを持ちました。参加者は多くなかったですが、いろんなお話ができてよかったですなぁ。
貧富の差別。お金の犯罪。自己責任!と投げつけられる刃が永きに渡って培ってきた人間の文化を簡単に断つ。支え合わない環境で子どもが育ちそして親になるなら「やさしさ」の意味も変わっていくだろう。「絆」「絆」と何度呟いても、冷たさ発生装置を何とかしなければ、みんな孤独になる。
自販機の缶コーヒーが1200円。みんな普通に飲んでいる。僕にはそんな金はない。…どこかの国に行って驚く、という想像。
2012.06.22
花山合宿出発の5年生に手を振る(6/22)朝、ちょっとだけ揺れました。
今日は、連れ合いびよさんのお父さんお母さんが来る日です。古川駅に迎えに行き、以前暮らしていたアパートを見たり、以前勤めていた学校を回ったりしながら、中新田経由で川渡温泉に向います。白糸の滝にも行きました。今回は「沼倉旅館」に泊まります。離れのゆったりしたお部屋。なんと部屋風呂付き! ゆっくりとご飯をいただき、幸せな夜でした。
テレビでは、報道ステーションで官邸前デモのことを伝えていました。Twitterでは報じられていたものの、マスコミは無視し続けていたこと。マスコミ報道現場の頑張りに期待しましょう。現場の皆さんの「上司」に意見する良心を応援したいです。
2012.06.23
鳴子・潟沼(6/23)川渡温泉で目を覚ましました。連れ合いびよさんのお父さんお母さんと一緒です。お風呂にゆったり入りました。藤島旅館と同じ匂い。川渡の温泉の匂いはとても懐かしいものです。朝食を頂き、チェックアウト前に、旅館回りをぶらりと散歩しました。目的地への移動ではない、ぶらり自由時間が大好きです。
川渡から鳴子に行きました。潟沼に行きました。エメラルドグリーンの水面。
涌谷に行きました。南郷でおそばを食べました。そして、松山町の家。僕は、東松島大塩の仮設住宅集会所へ学習支援ボランティアに行きました。待っていてくれる子どもたちがいるのは、とても幸せなことですな。
今夜は鍋料理。4人だと、とても賑やかな感じですねぇ。
夜に、放射線量測定器を返却してもらいました。借りてよかったと言っていただき、ありがたかったです。約束を明日と今日と間違えていて、大変失礼してしまいました。ごめんなさい。
官邸前デモのツイート読みながら自問します。私は「普通の人」? デモには障子紙幟持って行き、ジャンベ叩き、髪の毛結んでるおじさん。「普通の人」ってのが評価歓迎される中だと(お呼びじゃない?)ってな気持ちになったり...。ま、今日は行けないんですけどね。100人いれば100の「あたりまえ」がある…というあたりまえ。「普通」って言い方は「空気を読む」ってな「あたりまえ」につながっていそうで、私は警戒しちゃいます。
2012.06.24
石巻(6/24)連れ合いびよさんのお父さんお母さんと一緒に朝食を食べました。そして、石巻に向かいます。ある教会に訪れるためです。探していって、あった! お父さんと私は日和山に登り、そして渡波に行きました。サンファンバウティスタ号を見ました。資料館はお休みでしたが、展望する場所にはたくさんの人が集っていました。
連れ合いびよさんのお父さんお母さんと昼食は、東松島矢本のjijiというレストラン。小さなレストラン。コックさんお独りで切り盛り。たくさんのお客さんにコース料理なので、大変そう。でも、やりがいはあるでしょうねぇ。おいしかったです。思ったよりもボリュームがあって驚きでした。松山町の家で同じことができるだろうかと、きょろきょろしました。うむ、できないことはない。
古川駅の入場券。新幹線ホームで手を振りました。ああ、よい旅でした。お父さんお母さん、またいらしてくださいね。
2012.06.26
町たんけん(6/26)今日は、生活科の町たんけんの日。2年生みんなで校外学習です。農協前で説明をし、橋から川を覗き、ツバメを眺め、河原で水筒の水を飲み、隣の学校の休み時間を眺め、ぐるりとまわってくる1時間。とても充実でしたね。
午後は、教職員組合の教育事務所交渉でした。交渉帰り道、合同庁舎から見る風景に驚きました。東中学校の校舎! 被災してなくなったものの跡を見るのは、なかなか辛いもの。津波被災地のこと、思う夕べでした。
森の中。線路は単線。音も無く蒸気機関車。重連に興奮。いや、三重連。何と四重連。写真に収めたいけれど、カメラは線路の向こうだ。iPhoneもポケットにない。五重連、六重連…。しかも、D51、C60、Eも続く。列車が行って、線路を渡ると、ロボット兵士たち。木に隠れるけれど、カメラのライトで見つかる。ファッションデザイナー女性二人のドキュメンタリー映画。その蒼と黒の筆使い。ある宗教団体が付きまとう。くしゃくしゃにしたポスターを奪われる。その行列が続く。狭い歩道で圧倒される。というのは、今朝見た夢。
要想定。放出されたとき、どこへどのようにして何を持って何を置いて逃げるか。きちんと準備していない私。生き延びること。3.11から学んだことを生かすこと。宮城県在住の私だけでなく。NHKニュース 福島第一原発4号機 壁に傾き
おばあちゃんの法事で父さんの兄弟姉妹が集まったこと、電話で聞きながら、これぞ「絆」さねと感じる、ふるさとから遠い地にある私でした。
2012.06.28
蛍(6/28)今日、宮城県大崎市三本木の「かおりの湯」に行きました。温泉もよいですが、マッサージはいつも「外れ」なし。きっちりとほぐしてもらい、いつも満足。今日はとくに丁寧で感謝。温かな言葉にも、ほぐされるのでした。ありがとうございました。
温泉の帰り道、蛍を見に行きました。いたいた! 沢水流れているところ。ウシガエル鳴いているの聴きながら、ふんわりつかみました。節子(蛍の墓)の手のひらを思い出しました。
何のために生きるのか。それは、幸せになるため。しかしながら、幸せは手に取れないし、保存もできない。だから、常に追求したり、味わったり、思い出したりだ。立ち止まること度々。けれども、歩みを終えるのは、人間みな一度だけ。休んで、ほぐされて、また歩むのだ。
避難していない私は日常的に避難のことを考えています。これは精神衛生上とてもよくないこと。何からの避難か。それは放射能からの避難。私は東北電力女川原発の近くで暮らしています。福島からも「遠い」とは言い切れません。避難事態、何を置いていくか。それが課題。とても辛いです。
この頃(40代)の私は、好物を聞かれると、そのときの気分で答えます。だって、いっぱいあるのだから。しかしながら「デコポン」率は高いです。好きだから。子どもの頃は「ホッケの薫製」は常に上位でした。ある意味「ソウルフード」と言えるものです。
2012.06.30
R1100GS(6/30)今朝の夢はよく覚えていないものの、こんなメモだけしました。遠い町にいた。学生時代に好きだった娘さん。迷路。ピンチにはならない。
さて、今日は放射線被曝から子どもを守る会の集まりのある日。バイク(クマゲラ号)で仙台市太白区に向います。途中で、オドメーターが100000kmに達しました。ああ、あっちこっちに連れてってくれてありがとう。1999年3月から100000km。まだまだ一緒です。
あるレストランで、福島の方のお話を聴きました。独りで頑張るという状況ではない地平を作らなくてはならないと感じました。
午後は仙台市市民活動サポートセンターに移動して、放射線被曝から子どもを守る会・教職員部の集まり。いろんな検査など、できることを少しずつでも計画的に進める具体的なことを話し合いました。県北の小学校で尿のセシウム検査をしたところ、一人だけ検出しない子がいたという件(河北新報などで報道)。その子だけ、給食を食べていなかったということが、とても驚きでした。家族で検査をして、給食を食べている子だけとても高かったというのも、ショックな話でした。
ちなみに、多くの人に「きっと官邸前デモに行っている」と思われていた私でした。そうですね、そんな私。しかしながら、東京よりも地元が大切なんです。明日も町内会を優先です。目の前の課題、ひとつずつ。
写真家、画家、政治家などの「家」について考える。その「家」の意味は何なんだろう。生業? 世襲? 社会的認知? そうすると「専門家」なんていう「家」にも疑問が。スペシャリストという肩書きは、その実態をよくよく知ることをさぼらせる。看板やロゴではなく、その実を知ること。