2012.07.01

20120701.jpg空見上げる犬。(6/30)今朝、こんな夢を見ました。山奥で被災。旭町アパート。ひどい雨。土が流される。何も見えぬ夜。ペンタックス持っていた。撮る。生き残った人、大勢集まった。あいにく僕の車は4人乗り。絶望的な声。車を取りに自転車で行く。途中堤防に人。土から掘り出す。奇跡的に生きていた。痛い痛いと言う。顔が半分ない。土の中から腕。僕の手をつかむ。長い爪が食い込む。今、土をよけるから離して欲しいけど、伝わらない。知らない女の子と自転車二人乗り。谷間の道は急な坂。恐いから歩こうと思ったけれど、みんな待っているから、頑張ろう。急ごう。

かつてよく目にした「非暴力直接行動」はガンジーやキングの集団行動のイメージだった。集団所属、苦手な私。だから、デモで絵を掲げたり、独り歌ったり、人に会って話を聴いたり、手紙を書いたり…。気付いた。全て「非暴力直接行動」だ。命じられずに行動すること。自分であること。

たくさんの人から、たくさんのふるさとを奪う原子力。奪うことを支える人になってはいけない。再稼働反対。あきらめない。大飯もオスプレイも消費税も福島第一4号機も! そして来週の校内授業研究や学習参観や、通信簿。諸々の学校事務文書仕事! 大きいことも小さいことも、その規模に関わりなく、私はそれらに包囲され、ますます余裕がなくなる。...ってここに書いても仕方ないけど。

2012.07.02

20120702.jpg読み聞かせの会。(6/29)新しく赴任した学校は、一方通行だらけ。狭い道をぐるりと回って、一つ間違えて、初めからやり直し。夕張の旭町の奥に行き、山に登り、置いておいたスキーを履いて、一気に下る。高校の前でスキーを脱いで、裸足になり、砂の山を下る。砂は、塩のようだ。一両編成のジーゼルカーに乗って、次の次の駅で降りてから、スキーを取りにいくべきだと気付く。というのが、今朝見た夢。

2012.07.03

20120703.jpgトマトの支柱を立てました。(7/03)校内授業研究のため20時まで職員室。夏祭りの会議に遅刻して21時終了、21時20分帰宅。充実と言えばそうなんですけどね。

2012.07.04

20120704.jpgたてわり遊び(7/04)
任務と自己のその間。
服務と良識のその間。
健康と解放のその間。
立場と自分のその間。
夢と現実のその間。
自由と無責任のその間。
言い訳と本音のその間。
迷わぬこと、迷うこと。
ああ、あなたは
どのへんにいますか?

2012.07.05

20120705.jpgPTA音楽教室(7/05)今日は、学年PTAの音楽教室の日です。2時間目に音楽室で、2年生が歌ったり、オカリナやマリンバの音色に耳澄ませ、みんなで歌って踊ったり。ミュージシャンがたくさんいる2学年ゆえ、とても密度の濃い音楽教室でした。3時間目は、プールに入りました。午後は、授業参観。今回は、算数でした。まあ、普通にいつも通り授業ですな。その後に、PTAの音楽教室。今度は全校なので体育館で。その後は、教室で学級懇談会。1学期の振り返りと夏休みについての懇談会でした。いやはや、感動たくさん盛りだくさん。なかなか体力使ったのでした。

2012.07.06

20120706.jpg音楽教室オカリナ試奏(7/05)今日は、校内研究授業の日でした。私が授業提供。教科は、国語。迷いながら準備していたので、案の定でした。失敗授業。ああ恥ずかしい! 今回もまた、失敗し、悔やみ、反省します。落ち込みます。それらをちゃんと「よき経験」にできるかどうかが、大切なのだと、自分の力量の見せ所(見るは自らのみ)なのだと、言い聞かせる週末でした。

2012.07.07

20120707.jpg東松島市大塩(7/07)今日は、土曜日。東松島市大塩の仮設住宅集会所に学習支援に行きました。小学生と中学生が集まっていますが、私はもっぱら小学生担当。そりゃあ本職ですからね。「ああ、猛獣使いが来てくれた〜」と言われて、くすぐったく嬉しかったですね。

たくさんの「やらねばならぬこと」に囲まれていますが、「勤務時間にしよう」少なくとも「職場でしよう」と、学期末ではあるものの、考える一教員なのでした。

「いわれのない差別」という言葉があるけれど、差別に「いわれ」があるないなど、なんか関係なし。どんな差別もダメ。許さない。「それは仕方ないね」という差別容認があるなら、それはまさに差別なのです。

2012.07.08

20120708.jpg奥松島・月浜(7/08)今朝夢を見ました。高いベクレル値の魚が、山の奥に捨てられているらしい。夕張の鹿の谷。熊笹だらけの丘陵。かなり大きい魚たち。すごい臭い。そんな話を聞いていたら、無線が入る。中学生の女の子。登校するので、車を出してください。青年が、仕方ないなあと、白いゴム長のままガレージに向かう。

午後何となく疲れとるため、バイクを走らせました。大好きな月浜に行き、波を見ました。

Mac関連のiCloud調子悪し。これは私だけでしょうか? メールが使えない状況。さて、困った。どうやらメール復旧。こういうのって、とても不毛。疲れました。

2012.07.09

20120709.jpg電線のオナガ(7/09)ここのところ「りぶさん」ばかり聴いています。7/21に宮城県遠田郡涌谷町のRITZでワンマンライブがあるんです。去年の夏も涌谷に来てくれた「りぶさん」です。どんと・ボガンボス・ウルフルズ...が好きなら、ちょいとiTunesで視聴(お買い上げ)してみてくださいね。

昨日のメール不具合は、MacBookProの熱によるものかと思っています。iPhoneまでうまくいかないので不安になりましたが、iCloudゆえにパスワードを替えてしまうと全部が影響してしまった...のではないかと想像しています。いやはや、疲れましたなぁ〜

2012.07.10

20120710.jpg一輪車練習(7/10)私は「教員」と括られます。「東北人」と括られるかもしれません。ときには「男」でしょう。「中年男性」と括られることもあるかもしれません。「日本人」と言われて何と言えばよいやら。ちなみに「魚座」として占われます。ああ、いろんな言われ方をしますが、私と同じ人はきっといません。

2012.07.11

20120711.jpg音楽教室・ピアノの中(7/05)通信簿仕事...をしなくてはならないときに限って、別な急用が入り、時間がどんどんなくなっていく。

2012.07.12

20120712.jpg月浜(7/08)防災主任者研修会で仙台に一日出張。学期末の一日、教室にいられないのは、大変辛いです。昼食は、東北大学川内キャンパス。今回は学食。でも、カレーは別なところだったんですね。残念。ふと、歌ができました。こんなのです。

波が来た。
夜が来た。
暗かった。
もうだめだと独り泣くとこだった。

朝が来た。
人が来た。
友だちになった。
ご飯を食べたら泣けてきた。

いろんな歌を歌ってきたけど、
希望や未来を温もりを、
いろんな夢を語ってきたけど、
平和や自由を豊かさを。

あれから僕は
少し違うんだ。

防災研修会の帰り道、本屋さんに寄りました。ベトナム戦争関連の本を読みつつ、帰宅して阿蘇の水害を聞きつつ、ああ「語り継ぐこと」は大切なことと感じています。敗戦直後の「戦争反対」と2012年の「戦争反対」の温度の差はいかに。死の灰と暮らす2011年と10年後とは、いかに。

2012.07.13

20120713.jpg音楽朝会(7/13) 学期末はいつでもピンチ。 必ず大ピンチ。 思えば人生もまた、そんなもの。 「もうダメだ!」を「絶望!」を いやはやたくさん越えてきた。 そして、今日もピンチの中。 できることから、一つずつ。 いやはや、ドンマイ人生です。

幸せや正しさを求め続けることは困難伴うもの。慌てず諦めず休みつつ、繋がりながら。共に歩んでいる人、少なくないですよ。

2012.07.14

20120714.jpg水鉄砲の練習&洗車(7/14)今朝夢を見ました。ヨーロッパを旅している。母国語が異なる二人と一緒。英語で話している。アイスクリームを食べよう。黄色の紙幣は、両替してくれないようだ。それがセントで、もう一つがドル。魚屋で、おごってほしいと言う二人。私は恥ずかしい。魚屋さんが、五千円札二枚くれる。

湯川潮音さんのベースをぜひ聴いてみたいと、かわいしのぶさんのいつものコラム読んで思いました。

どれ、時間外労働から、仮設住宅集会所学習支援に移動しますか。

仮設住宅学習支援、今日も充実。半年付きあって、気付くと地域の方も、分かってくださる。感謝。これからずっとの付き合い。帰宅してご飯食べて、古い仲間からの電話。ああ経験豊かな40代後半だね。「ブレない」とは、柔軟でないことではなく、若い頃の自分を裏切らないということ。

3台のカメラでストラップを交換して、役割分担が明らかになって、嬉しい撮影者。一台は郷里の父さんにプレゼントする予定です(そしてGRを返してもらいましょうか)。

誰かを貶めなければ伝えられない主張は、平和に繋がりません。悪口の向こうに新たな地平はありません。批判とは、共に切磋琢磨する行為。迎合とは、自ら考えることを放棄すること。

2012.07.15

20120715.jpg東松島・大塩(7/14)今朝もまた夢を見ました。お祭りの写真を撮ろうとしたら、バッテリーが抜けていた。青年が貸してくれると言うが、それはペンタックス。僕はオリンパス。パレードを逆に走り、取りにいく。人の家。荷物の中、見つからない。その家では、また赤ちゃんが生まれるという。窓の下に、蛍光色の昆虫。撮ろうと思ったけど、バッテリーがない。バイク屋さん。修理してもらう。鏡に映る双子の子。七五三。居間を抜けて、古い風呂を抜ける。ホラー映画の予感。出るぞ出るぞと言い聞かせながら、風呂の奥は行き止まり。ああ疲れた。

そして今日もまた学期末時間外(休日)労働なのでした。

なんだかとっても恋しかったジンギスカン。今日食べることができて、幸せです。夕張第一小学校の「夜遊会」を思い出したりします。ジンギスカン、ソウルフード(魂食べ物)。

かつて水俣で見た幟は「怨」だったこと、思い出した。

2012.07.16

20120716.jpg出来川のそばで初ねむの木(7/16)また夢を見たのでメモをするのでした。私は、パジャマに麦わら帽子。雪深い町の、知らない家の中、出口を探す。泥棒してないけれど、きっと間違えられる。見つからないように出口を探す。玄関から出ても、雪の壁。また、別の家に入らざるを得ない。まるで迷路。ばったり顔合わせてしまったおばさん。若い頃、付き合っていた娘さん。声が出ない。

一人も、自ら死を選ばない家庭。
一人も、自ら死を選ばない学校。
一人も、自ら死を選ばない職場。
一人も、自ら死を選ばない町。
一人も、自ら死を選ばない島。
一人も、自ら死を選ばない星。

評論家には、ならない。 どこかで読み解いて、 もっともな分析。 どこに立っているの。 誰のため。 私はずっと、 みっともなく現場で、 汚れたり、洗われたり、 暑苦しかったり、凍えたり。 自転車吐息の青い春の続きを、 あいかわらずなのだ。

中公新書「高校紛争」(小林哲夫著)を読みました。夕張北高が出てくるとは思っていなかったので、驚きました。

東京に向かう夜行バスに揺られている人、いっぱいいるだろうな。思いを巡らせます。ヒグラシ、いい気になって歌っている。気持ち良さそう。

2012.07.17

20120717.jpg色水作り(7/17)今朝もいっぱい夢を覚えていて、困ったものです。職員室にネギが次々届く。子どもたちが持ってくるのを忘れて、おうちの方が届けてくれたもの。味噌汁を作る予定だったんだ。私が昆布と味噌を持ってくるはずだったのに、持ってこなかった。教室ではみんな楽しみにしているだろう。明日というわけには行かないだろう。職員室の冷蔵庫を開ける。印刷機のインクがしまってある。子どもたちの父親が外にいる。行くと放射性物質が心配なのに、なぜわざわざ味噌汁なのかと言う。では止めましょう、味噌汁。と言いながら、子どもたちに会わせる顔がない。
忘れ物を取りに、旅館に戻る。知らない町。デモの帰り道は、夕張の本町4丁目の坂道。大きなコートを着た丸顔の女性と話しながら上る。
ふらりと参加した美術ワークショップ。絵を描いて語り合う。坂道の上。主宰する先生と違う方向性の発言が多いようだ。先生がふさぎこむ。絵の解釈。どちらでもよいと思うけれど、そうはいかないのだそうだ。お開きになってから、立ち上がって「今日飛び入り参加して良かったです」と言うけれど、誰も聞いていない。
以上全て今朝の夢のメモでした。

「救援」519号が届きました。毎号隅から隅まで読みます。「取調拒否権の思想」(前田朗さん)にニヤリ。映画「カムイと生きる」(小松秀樹監督)ぜひ見たいです。「山谷への回廊 写真家・南條直子の記憶」(織田忍編著)はきっと紹介されると思っていましたよ。「救援」読んで自己省みる夜です。

焼酎は、黒糖が一番ほっとします。芋焼酎は青春の香り。麦は、少しおすまし。香りがいいのは、そば。米は、少しで十分です。しかし、黒糖はついつい飲みすぎてしまうのが、困ったところです。

生きることに、一所懸命。 それは、 生きることに貪欲とは、 ちょっと違う。

2012.07.18

20120718.jpg床掃除(7/18)教室の床をみんなで磨きました。たわしでピカピカ。出張から戻ってワックス掛けました。ああ、やっと掛けられた…という思い。2011年3月11日に同じ教室を磨いたんです。2012年3月12日ワックス掛けの予定でしたが、結局掛けられなかったのでした。同じ教室ゆえに、何かほっとした気持ちです。

2012.07.19

20120719.jpgワックス掛け翌朝(7/19)終業式前日青空。3日連続今日もプール授業をしましょう。夏休み前に、泳ぐ感覚身につけ、どんなことをすればよいか学んでほしいんです。無理に顔つけさせたり潜らせたりしません。ビート板使いません。蹴伸びを目指して、手を引くトレーニング。力抜くと浮くという体験重視です。自由時間たっぷり。

2012.07.20

20120720.jpg学校近くの家(7/20)1学期終業式終わり、家庭訪問完了、会議終えて、休暇取得。ジャンベ背負って仙台にデモしに行きます。「大飯を止めろ!女川再稼働するな!子供を守れ!汚染はいらない!みやぎ金曜デモ」です。

仕事疲れの体だったけど、やっぱり休暇取って、電車に揺られて、原発反対デモに行ってよかった。ジャンベ叩く人他にいなくて、手がむくんでるけど、人と出会い言葉交わし、報われる。ありがたいと出会うことに、人に感謝する。あなたも、仙台デモに楽器持って参加しましょうね。こんな夜は電車で聴くタテタカコさん。「君は今」が沁みる。暗いけれど、灯火がある。それを希望と呼ぼう。

脱原発デモのコールに「断層調査を 電力にさせるな」入れてほしいです。大飯原発の下に断層があるようだと、保安院が調査をさせるのはよい。けれども、調査するのは電力会社ではない。

2012.07.21

20120721.jpgりぶさん(7/21)今日は、りぶさんライブ@涌谷RITZです。早めに言って、おしゃべり。近くでお祭り。知り合いがいっぱい通ります。夕方は、夏の風。ライブ中、いろんな方と語らいました。家から出て、いろんな人と出会う機会を自分から作ることの大切さ。そんな機会作ってくれたりぶさん、そしてチーム暁の皆さん、ありがとう。私はカメラマンスタッフでしたが、終わりのほうでカホン叩かせてもらって幸せでした。ああ、よい夜だった。余韻がとても幸せ。りぶさんは、ハッピーオーラ満点なんです。あなたもぜひライブに足運んでくださいね。

2012.07.22

20120722.jpgりぶさん開演前(7/21)何とか1学期終業式にこぎ着けて、仙台脱原発デモでジャンベ叩いて、りぶさんライブ@涌谷が盛り上がって終わって、帰省の切符を買ってきて、ばたばたと夏です。28日に北海道に向かいます。利尻に行きます。夕張にも行きます。

2012.07.23

20120723.jpgりぶさん(7/21)今朝、久しぶりに地震。山が鳴って、来るぞと分かって、ぐらっと揺れました。学校では、運営反省会。夕方から職場の飲み会。ひとまずほっとしたひとときでした。

2012.07.24

20120724.jpgりぶさんライブ中(7/21)大人の皆さんへのアンケート。あなたの周りで「いじめ」はありますか?と問うたら、どんな回答がくるのでしょうか。「特になし」でしょうか。

2012.07.25

20120725.jpg教室の絵(7/25)石牟礼道子さんのお話、心にしみた。NHK見て、よかった。語ること、語り継ぐこと、紡ぐこと。一人ひとりが、自分の居るとことで続けること。私、静かにうなづく夜です。チッソと東京電力、水銀と放射性物質、重ねて見ていた人、多かったと思いますね。

2012.07.26

20120726.jpg朝の鳴瀬川(7/26)明日には文書関係の仕事を全部終えなくてはなりません。本日、お尻に火が付いています。というか、お尻に火がついていない日はずっとずっとないような気もします。

2012.07.27

20120727.jpg出来川に映る電柱(7/16)あれこれの学校仕事をひとまずやっつけました。ぴよさんは、千葉へ帰省です。私は明日北海道へ帰省。旅に出る前に、MacOSをバージョンアップしました。お疲れさまと自分にご褒美は温泉です。今日は、三本木・花おりの湯。温泉入る前に、とんかつ信ちゃん。花おりの湯のマッサージの先生は、私を覚えていてくださっていて、嬉しかったです。ああ、ほぐされました。ごくろうさん、私。

「偉大な素人の証明」! いい感じです。「社会に貢献する専門家」よりも、誇らしく感じるのは、あまのじゃくな私だけかもしれませんが。

2012.07.28

20120728.jpg函館(7/28)今日は、北海道に向かう日です。当初バイクで行く予定でした。フェリーの予約もしました。けれども、北海道に行ってからバイクに乗る時間がないスケジュールになったので、フェリーをキャンセルしました。飛行機ではなく、鉄道で行くことにしました。鈍行トコトコもよかったのですが、父さん母さんが待っているので、新幹線と特急で急ぎます。

松山町から仙台に東北本線でトコトコ。仙台から新青森まで新幹線です。先日iPadにレンタル映画をダウンロードしました。「魂萌え」(阪本順治監督)を見ました。阪本順治監督だったから、主演が風吹ジュンだったから。選ぶ上では、後者のほうが大きかったですね。風吹ジュンさんったら、私としては山口百恵や桜田淳子、ピンクレディーなんか及ばない(密かな)アイドルであり続けていますから! ちなみに風吹ジュンさんを初めて知ったのは二次元。マンガ「ガキデカ」に登場している風吹ジュンさんでした。さて「魂萌え」(阪本順治監督)は、よかったです。楽しませて考えさせて感じさせるという順番で沁みてくるのは、よい映画の証でしょう。

イヤホンを付けてiPadの映画を観ていたのですが、隣の席の女性はどうもおしゃべりしたい様子。イヤホンを外したら、おしゃべりが始まりました。青森が初めてだということ、人混みは嫌だということ、お連れ合いは富士山が好きで何度も登っていることなど。「よい旅を」と手を振りました。

新青森に着き、函館行特急に飛び乗りました。蟹田にはしばらく来ていないなぁと車窓を眺めました。北海道新幹線のための工事があからさまに嬉しそうに進められていました。トンネルに入ったかと思い、まだかぁ〜と何度か繰り返しているうちに、北海道でした。

函館で途中下車しました。朝市をぶらぶらしました。摩周丸に500円払って乗りました。復元したという座敷にはがっかりしました。函館山を見て、シャッター切りました。いつもはあっち側から摩周丸を坂道の向こうに見ていたのですが、今日は反対からです。「昔」と「今」の間とは、どこにどんなふうにあるのか、確かめられるのか、考えることがあります。小泉政権の前と後とか、テレホンカードの前と後とか。今日函館で、青函連絡船があった頃とトンネルになってからとが「昔」と「今」の狭間だったことに気づきました。

朝市のお店で、蟹丼を食べました。皆さん、海鮮丼・ウニ丼ばかり。でもね、私は明日には利尻に行く身。函館でウニなんぞ食べることはないのです。ああ、蟹おいしかった!

函館から特急で札幌へ。レンタル映画「問題のない私たち 」(森岡利行監督)を観ました。学校でのいじめを描くものです。ふむふむふ〜むと観ました。車窓、長万部あたりの噴火湾は、映画なんて観ていられないっしょ〜っていういつもの素敵な凪でした。ああ、北海道だ。

沢木耕太郎のエッセイ「旅する力」を読みながら、旅が続きます。だんだん乗客が増えていきます。みな目を瞑っています。陽射しは、夏色。

札幌駅のジーゼルカーくさいホームから逃れ、江別方面に行く電車に乗りました。大麻に着きました。父さん車で来てくれてありがとう。さっそく絵を見る夜でした。

2012.07.29

20120729.jpgお父さんと利尻(7/29)江別で目を覚ましました。ゆっくりご飯を食べました。今日は父さん母さんと利尻に向かう日です。丘珠から利尻へ向かうんです。

かつて僕が小中学生の頃、夏は利尻でした。冬は埼玉でした。それが当然でした。夏休みと冬休みは大移動をするのがあたりまえだと思っていたので、どこにも旅行しない人がいることを知ったときは驚きました。クリスマスの日にケーキを食べないことよりも、不幸に感じました。

かつての利尻行は、準急「利尻」の固いシートまたは木製の床に新聞紙を敷いて眠るものでした。抜海あたりで朝。丘ばかりしか見えない車窓。ぱっとそれが途切れて、海に浮かぶ利尻が見えたときの感覚は忘れません。雲が切れた青空。苦しい日々を繰り返してやっと手にした安らぎ。そんな感じ。稚内駅で降りて、埠頭までの道を歩き、第二利礼丸に乗り込み、だんだんに近づいてくる島。近づいているのは船なのですが、島が僕に近づいてくれるという感覚。鴛泊からバスに乗り込んで、沓形そして蘭泊。勝手知ったる浜に「ただいま」を言う感覚。一晩以上掛けてやっとたどり着く旅でした。

それが、今回は初めて飛行機です。江別から丘珠空港まで車ですぐでした。比喩ではなく正真正銘のご近所でした。さすがに時間があり、僕は自衛隊の航空ショーを見に行きました。すぐそこでやっているようなのです。たくさんの人です。持ち物検査さりて入場しました。軍服屋さんのブースが並んでいました。飛行機が並んでいました。それらは、当然に軍用機がが多く、映画で火を噴いている兵器が備わっているのでした。その前で記念写真を撮る少年少女は「ピース」のVサイン。米軍ヘリコプターで兵士に我が娘をだっこしてもらって記念写真撮る親たち。アナウンス聞きながら待っていたら、奥から戦闘機編隊がやってきて旋回。ガソリンスタンドのリッター当たりの値段が一円でも安いほうを選ぶ人がほとんどの日常で生活している僕は、戦闘機の燃費を考えたりするのでした。

利尻行の飛行機の一番後ろのシートに座りました。小さなバスという感覚です。暑寒別岳には行ってみたかったんだよなぁと森を見ます。増毛を見下ろし、雲の中。あれ?と思ったら、雲の中に利尻富士。富士山見つけたときの「あ!」よりも、大きなドキンでした。ああ、帰ってきたよ。

着陸して、ホテルの車で沓形へ。ひとつ一つ全部が懐かしい。利尻で生まれ育った父さんは尚更ですね。育った集落は、車ならあっという間。その驚きは、夕張で僕も感じたこと。思いだし振り返り、心の中で灯る「あの頃」は、重層にも重なる想いによってとても濃いけれど、「風景」にしてしまうと、それはとてもあっさりとしているものなんですね。

沓形のホテルには、連れ合いぴよさんのお父さんが既に到着していました。昨日稚内で泊まり、ぴよさんとお母さんは礼文経由でこれから到着。お父さんは、絵を描くために早めに沓形に来たのでした。さっそくにホテルから描くお父さん。山頂が雲の中。一緒にお話しながら待っていたら、少しずつ風が出て、山頂が見えました。また隠れ、そしてまた見えて。まずは、ほっとしました。

礼文がよかったことを嬉しいそうに話すぴよさんとお母さんが到着しました。それぞれ絵を描いたりおしゃべりしたり。僕の父さん母さんと、ぴよさんのお父さんお母さんと、6人での旅。6人での夕飯。とてもとても幸せなのでした。

2012.07.30

20120730.jpg利尻・蘭泊(7/30)利尻の沓形で目を覚ましました。いつものように早朝でした。そっと部屋を出て、散歩しました。沓形の町、沓形岬。懐かしい場所探し。夕張と同じ。1時間半ほど散歩して、戻って朝風呂入って、朝食を取りました。

ホテルの車で鴛泊まで送ってもらい、レンタカー屋さん(ペンション)で降ろしてもらいました。6人旅なので、大きな車を借ります。ハイエースを運転するのは初めて。しかもペンションのロゴ入りなので、ちょいと緊張なのでした。
みんなでまずは島巡りです。沓形から蘭泊。ああ、蘭泊。かつておばあちゃんのお兄さんにあたる「蘭泊のおじさん」のところで、夏を過ごしました。僕の夏のふるさと。今は、家はなくなりましたが、浜は同じ。ただし、テトラポットはこんなになかったな。でも、波の中の黒い岩は変わらないな。あそこまで泳ぐことが、目標でした。車から降りて、見渡しました。

仙法師に行きました。御崎の公園です。母さんの絵のモチーフ用に写真を撮ります。かつて「ホッケ水族館」だったところにはアザラシがいました。懐かしいエリマキヒトデ。あの色合いが僕はとても苦手でした。あのヒトデは、実は今でも触りたくないんです。形ではなく、あの色合い。
利尻町立博物館を訪れました。とても充実した博物館。一所懸命な博物館はいっぱい知っていますが、調べること・伝えることをとても楽しんでいる(愛している)感じが伝わってくるような利尻町立博物館でした。学芸員さんと父さんが話しているのを聞きながら、僕と夕張との関係を思いました。

学芸員さんにぴよさんが聞いたお店に行くことにしました。昼食です。仙法師のおいしいお店・マルヰ食堂。人情ドラマに出てきそうなお店の方と佇まい、そしてお客さん。いい感じでした。そして、おいしかったですよ!
鬼脇に行きました。実は、鬼脇はあんまり馴染みなしなんです。夕張出身の僕が、幼少の頃大夕張には行ったことがなかったという感じに似ています。オタドマリ湖を訪れました。利尻島郷土資料館に行きました。姫沼にも行きました。

絵を描く場所を探しながらの島巡り。鴛泊の港で絵を描くことにしました。お父さんと父さんと母さんと僕です。それぞれ銘々に。僕は、障子紙と墨だったのですが、途中からの雨でぼろぼろになりました。お父さんと父さんと母さんは、それぞれにスケッチブックに作品を作りました。みなさん、さすがです。
2泊目のホテルです。夕食は昨日とは席替えして頂きました。お父さんお母さん父さん母さんぴよさんそして僕。ありがたいことです。

2012.07.31

20120731.jpg利尻・種富町(7/31)利尻・沓形で目を覚ましました。沓形で目を覚ますなんて夢のようですが、今朝は、こんな夢を見ました。政党の党員グループ疲れているから、両替頼まない。9:05だからもう1時間目。子どもたち待っているはず。でも教室どこか分からない。

僕は早起きなので、そっと部屋を出て、レンタカーで一人蘭泊・久連に行きました。霧が濃い朝でした。霧の朝の浜も、何とも懐かしく、切ない感じでした。ああ、僕はいつも夏の終わりに夕張に帰りたくなく、ずっと利尻にいたかったのでした。将来、島の漁師になることも夢見たのでした。あの頃、蘭泊の家の2階の窓から久連を眺めながら、南こうせつの「夏の少女」を口ずさんでいた、あの頃。久連の寝熊を見て、まだ時間がありそうなので、沓形の利尻岳登山道入り口を目指して、山道を行きました。思いの外長い道でした。くねくね道でした。かつてバイク初心者の連れ合いぴよさんとここを登りました。黄色いオフロードブーツの彼女はとても辛い旅で、後々辛い思い出を聞きながら申し訳なく思っていたのですが、ああこの道も辛かっただろうなぁと、反省しながら上まで行きました。何も見えない霧の中、展望台まで上がりました。クモの巣がきれいでした。

今日は、連れ合いぴよさんとお父さんお母さんが利尻を発つ日です。沓形の「島の駅 海藻の里・利尻」を訪ねました。ゆっくりしました。鴛泊に向かい、利尻富士が雲から山頂を現さないか、しばらく眺めました。すっきりした空にはなりませんでした。利尻空港に行きました。ぴよさんとお父さんお母さんは、千歳空港乗り継ぎ羽田空港行きです。旅を一緒にできたことを感謝しながら、手を振りました。
僕と父さん母さんとで、鴛泊のレンタカー屋さんに行き、大きなハイエースから小さなエッセに乗り換えました。空港の見送りロビーに行きましたが、もう飛行機は離陸間際で、手を振ったものの、分かったかどうか分からないのでした。何とも切ない離陸見送り。残された感覚。

父さん母さんと僕の旅は、まだ続きます。種富町の浜に行きました。父さんが過ごした少年時代。その集落は、ほんの50mほどのエリア。その浜を、母さんが描きました。父さん、その息子それぞれに、浜を歩きました。息子は、浜の写真を撮りました。溶岩を削って、磯舟が入るようになった場所は、自然ではないけれど、とても温かく感じられました。

利尻出身の父さんを産み育てたおばあちゃん。おばあちゃんが夕張で沓形のおそば屋さんのことをよく口にしていたと聞き、それは行かねばなりませんね。車を走らせました。そのあたりに、そのおそば屋さんは見当たりませんでした。残念。近くにあったラーメン屋さんに入ったら、おいしくなくて、なんとも残念でした。

まだ夕方には時間があります。久連に3人で行きました。僕には馴染みだった寝熊も、父さん母さんはそうでもないことが分かりました。蘭泊の船着き場のカープは、思い出深いところ。蘭泊のおじさんの息子さんに、バイクの後ろに乗せてもらって、ここまで来たんです。そこから沓形までの道、カムイはキツネが化かすという話があって、少年時代ちょっとドキドキしつつ歩いたっけ。ああ、昔はよく長い距離を歩いたものです。というか、現代は歩かなくなっているのでしょう。

仙法師に行きました。蘭泊のおじさんの娘さんのおうちを訪ねました。おじゃまして、それはそれはたくさんお話を伺いました。おみやげとして、かつての写真を差し上げました。僕は、あの頃の思春期少年ではなく、47歳になり、それでいて思い出話的には「ちゃん」付けで登場するのでした。島を訪れたときに来れるおうちがあることを幸せに感じました。

利尻3泊目は、ホテルではなくて民宿にしました。予約するとき、食事のコースを聞かれて、とりあえず高いほうを選びました。「始まるから来てください」という携帯電話が入り、何かと思ったら、蔵の中で炭火焼きの食事だったんですね。説明不足の息子に、父さん母さんも戸惑ったようですが、ホタテやワカメ、ツブなど焼いてもらう夕飯、そして地元の方との語らいに、旅を楽しもうとしているようで、ほっとしました。ウニはやっぱりガンゼを焚き火の中に放り込む食べ方ですよね!と、おしゃべりしました。
食事後、父さんと一緒に「利尻 ふれあい温泉」に行きました。たくさんの地元の方で賑わっていました。民宿の方に聞いていたものの、とてもぬるい温泉でした。ここのところ、ぬるいのにゆっくり...が好きな僕は長く入りました。地元の方ともおしゃべりしました。父さんは上がるようでしたが、僕はゆっくり。ああ、よいお湯でした!
温泉を出たら、雨がぱらついてます。民宿まではすぐです。走ります。けれども、雨は強くなるばかり。僕は、バス停のあるほうに走りました。セイコーマートがあるんです。そこで、缶ビールとビニール傘を買いました。より強力な雨の中、懐かしき沓形の道を歩きました。傘が嫌いな僕ですが、ちょっとよい夜でした。民宿の部屋で、あらためてぷしゅっとして眠りました。

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