2012.08.01

20120801.jpg利尻・大磯(8/01)利尻・沓形で目を覚ましました。利尻最終日です。民宿の朝ご飯をいただき、ゆっくり宿を出ました。かめやに寄って、とろろ昆布を買いました。
昨日も訪れた種富町の浜を愛でました。父さんの育った浜。僕にとっての夕張・旭町のような感じでしょうか。
大磯の懐かしい浜を歩きました。礼文を見る溶岩の浜は変わっていませんでした。大磯のおじさんが「網を跨ぐな!」と僕を叱った浜も変わりません。おじさんが捕まえて見せてくれたゴメ(カモメ)の雛が懐かしいです。あの鳥の何代子孫なんだろうな、羽ばたく夏の空。

空港に行き、レンタカー乗り捨て。乗り込んだ飛行機は、あっという間に丘珠空港に着きました。駐車場に停めていた車で、これまたあっという間に江別のマンションに着きました。空港であれこれと待たないことを思うと、正味1時間半で利尻から江別に移動しています。これはすごいことです。

これまでにないようなゆったりとした旅でした。3泊の利尻。しかも飛行機での行き来です。充実でした。そして、簡単に来れるぞと実感する旅でした。

2012.08.02

20120802.jpg絵画教室などの受付ロビー(8/02)江別で目を覚ましました。ゆったりと過ごしました。
母さんの絵画教室に行きました。なるほどこういうピルでやっているんですね。プロの仕事をとくと観察しつつ、現場ゆえのリアルな大変さを感じたのでした。羨ましいけれど、僕の現場とはちょっと違いますね。昨日作った、母さんの個展お知らせ葉書を業者に持っていったり、プロサポートのあれこれ仕事をしました。
夜は僕の妹も来て、夕飯を共にしました。ああ、夏休みです。

2012.08.03

20120803.jpg利尻空港(8/01)江別で目を覚ましました。母さんの個展のための準備をします。個展会場に展示するための作品整理。作品を撮って、プリントアウトして、ナンバリングをしました。コンビニで写真をプリントアウトする方法を父さんに伝えました。

夕張に行きました。仏壇に手を合わせました。母さんの作品を整理しました。作品庫の整理は、きっと自分ではしないこと。全作品の写真撮影をしながら、整理整頓しました。150号のキャンバス移動はなかなかハードですが、自分ではきっとしないでしょうから、やるんです。父さんのあれこれを残したまま整理整頓は未了でしたが、成就感はありました。久しぶりの夕張泊。静かな夜でした。

2012.08.04

20120804.jpg作品整理(8/04)夕張で目を覚ましました。夢のメモは「旅の途中。看護士の顔が近すぎる」でした。これだけだと、見て書いた本人としても、よく思い出せません、いやはや。
早朝、車で一人出ました。大夕張を見に行きました。ダム工事は進んでいて、道が変わっていて驚きました。南部の川沿いで、クワガタを捕りました。ノコギリクワガタ7匹。近くにスズメバチがいてドキドキでした。クワガタたちきを父さんのザックに入れました。これは甥っ子へのプレゼント。でも、プレゼントを持っていくお爺ちゃん(僕の父)の幸せのためとも言えそうです。

紅葉山に戻り、その後末広墓地に行きました。お墓のお掃除をして、手を合わせました。そして、苫小牧へ。僕は、フェリーで仙台に帰るんです。国道234号線は、徒歩旅行の懐かしき道。あれからもう30年以上経っているとは。

苫小牧で、父さん母さんに手を振りました。当初は、バイクと一緒の予定でしたが、単身になったので、二等から寝台に変更しました。乗船して、すぐに風呂に入り、ほっしました。高いけれどレストラン夕食を驕りました。ビールも大ジョッキ。ゆっくり飲みました。いろいろ食べました。映画室で「ツーリスト」を見ました。予告編は見ていたのですが、ああ予告編ってすごくよくできているものね...って感じました。ベッドに戻って、今回の旅の友「旅する力──深夜特急ノート」(沢木耕太郎 新潮社)を読みました。フェリーのベッドに入るたび、幼き頃の寝台特急「はくつる」を思い出すのでした。

2012.08.05

20120805.jpgフェリーのたんちゃん(8/05)苫小牧発仙台行フェリーで目を覚ましました。外に出ると、青空! 凪な太平洋! しかも、ああ戻ってきてしまった夏の本州! 朝からじっとりと暑いです。バスで駅まで行って、鉄道で帰ろうと思っていましたが、連れ合いぴよさんに連絡したところ、迎えに来てくれるとのこと。ありがたい。お願いしました。フェリーを降りたお客さんはだんだん減り、私だけがクーラーの効いた待合室で高校野球のテレビを眺めていたのでした。ぴよさんの車(愛称・チャコちゃん)で帰宅しました。利尻では寒いくらいでしたが、宮城県ではまだまだまだまだ猛暑なのでした。

2012.08.06

20120806.jpg利尻のウニ漁・盗人カモメ(7/30)ヒロシマの日ですが、私の今日は出張です。猛暑の中、小学校教育課程地区研究協議会。宮城県大崎市古川。体育館に教員がぎっしり。いやはや...。

誰が敵かを知るより
味方が誰か思うより
扉を開けて外に出る
出会う人に挨拶する
話を聞いて話をする
世の中はとても広い
知らないことだらけ
知らない人だらけだ
ちゃんと出会うこと
計算せず生きること
味方も敵もみんな人

2012.08.07

20120807.jpg種富町から見る礼文(8/01)今日も出張です。町の防災安全点検。町内の通学路などを点検して回りました。知らない道がたくさんありました。決まった道しか通っていないもの。世界は広いものです。

夜に、千葉から友人がやってきました。ジョジョ展&被災地視察ツアーです。私は、お客さんを迎えるのが好きです。来てくれてありがとうです。

2012.08.08

20120808.jpg夕張のクワガタ(8/04)今日はプール当番。何とも涼しい朝。子どもたち、来るかなぁって感じでしたが、わいわいやってきて、ほっとしました。子どもたちに会って、自分の居場所を確かめる感じ。感謝です。ああ、夏休み!って感じですな。

2012.08.09

20120809.jpg石巻市立相川小学校体育館(8/09)今日は、当初勤務の予定でしたが、休暇を取ることにしました。千葉から来た友人と津波被災沿岸部視察です。トラに乗って出かけました。

松山町から志津川へ。防災対策庁舎跡にはたくさん人が訪れていました。海沿いの道を行きましょう。相川小学校校舎、吉浜小学校校舎、大川小学校校舎を訪れました。相川小学校の体育館はまだ物が残されていて、苦しくなりました。吉浜小学校の体育館は逆に何もなくて、悲しくなりました。大川小学校には、それはそれはたくさん人が来ていました。

雄勝へ向かいます。車を止めていたら、バイクツーリングの男性に道を尋ねられました。なるほど、雄勝小学校のТ字路を左に行けば志津川ですが、つい右折してしまうケースありそうですね。首都圏から来たカワサキライダーは、なぜこんなに津波の被害に遭っていながら遠くに引っ越さないのかと強い調子で話していました。聞いてみたかったことたくさんあったのですね。しばらくしたら、SRライダーも加わり、雄勝公民館跡で座談会でした。ああ、旅ですね。旅の中の「地元の人」としての私でした。

雄勝から女川へ。女川の病院横でカレーを食べました。港の建物は撤去されて、驚くような更地状態でした。再起動ですね。女川から石巻へ。港を回り、日和大橋を越えて、門脇小学校校舎。そして、日和山に登ります。震災後、何度目の日和山だったかな?と考えました。

日和山を下りて、映画館を目指しました。ピンク映画の映画館『石巻日活パールシネマ』http://www.cinema-st.com/adalut/d017.htmlです。今回千葉から来た友人は、泥掻きボランティアで石巻に来たことがありました。そのとき『石巻日活パールシネマ』で仕事をしたので、今回ぜひ訪れたいと話していました。映画館の方とお話しました。「ああ、あのときはありがたかった。ありがとう。わざわざ来てくれたのですね。」かっこよく歳を重ねた方でした。津波が来たときのこと、こういうときだからこういう映画館があったほうがよいと思うことなど、しばしお話を伺いました。ああ、お話聴けてよかったです。よい旅です。

石巻から松山町へ帰宅して、夕飯後に友人を見送りました。また来てくださいね。ありがとう。

2012.08.10

20120810.jpg永田町(8/10)少し風邪気味ですが、今日は東京に行く日です。〈第三回「日の丸・君が代」裁判 全国学習・交流集会〉に参加するためです。去年は遅刻してしまったので、今年は朝早い新幹線で向います。iPadにダウンロードしていた映画を観ながら行きます。行きは「初恋」(塙幸成監督)です。宮崎あおいさんが主演の映画です。私が監督ならどう演出するだろうと考えながら見ました。
東京駅地下ででソーキソバセット食べました。ここで改めて感じること。本場も含めて、一番美味しいのは、宮城県大崎市古川の「沖縄そば」ということ。ソーキも麺もスープもコーレーグースも、全部美味しい。というか、他で美味しいものになかなか出会えないくらいです。

地下鉄で永田町へ。「日の丸・君が代」反対の仲間と会い、文部科学省交渉に参加しました。移動途中、仙台に来てもらってお話をしていただく予定の先輩と内容などの相談をしました。交渉では、教員免許更新制度について発言しました。発言してから、予め文書を提出しておいたほうがよかったと感じました。忙しくてもきちんきちんと進めなくてはいけないですね。

東京の教員先輩と去年映画談義したのでした。今回も映画のお話をしました。前回勧めてもらった「海炭市叙景」(監督:熊切和嘉、原作:佐藤泰志)http://www.kaitanshi.com について語らい、お勧めはないですかと訪ねました。先輩は、かばんからパンフレットを出して、高田馬場で今日までやっているのがあるよと教えてくれました。

今日の宿泊は、全国町村会館です。いつもの山谷の宿はあちこち満室でした。どうしようか考えたとき、今日の交流集会が全国町村会館であるので、ここで宿泊できないかと調べました。宿泊可能でした。永田町の真ん中で宿泊できるのは、今後も活用できそうです。チェックインしてから、夕食食べながらの交流会に参加しました。いろんな方と語らえてよかったです。いつもの方、初めての方。日本酒談義もできて、ああよかった。

交流会がお開きになり、私はすぐに地下鉄有楽町線に乗りました。いやはや、思えば東京や大阪の地下鉄にも慣れたもんですねぇ。かつては「乗り継ぎ」が分からなかったのですが、たぶんもう大丈夫です。
「ポエトリー アグネスの詩」(監督・脚本 イ・チャンドン)http://poetry-shi.jp を観ました。ああ、苦しかった。この救われなさ加減は何だろうかと考えていて、思い出しました。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ラース・フォン・トリアー監督)です。ビョークが主演の映画です。あの苦しい感じです。
深夜に永田町に戻りました。深夜でも都会はやっばり都会なのでした。

2012.08.11

20120811.jpg石巻市立吉浜小学校(8/09)東京・永田町で目を覚ましました。シャワーを浴びて、ホテルの朝食をいただきました。朝食をゆったり頂くのは、とても幸せです。電車で水道橋に移動して〈第三回「日の丸・君が代」裁判 全国学習・交流集会〉の2日目です。いろんな方に声を掛けていただきました。ありがとうございます。仙台に来てもらってお話をしていただく予定の先輩と昨日に続いて詳細を相談しました。何となく見えてきてほっとしました。いろんな方のお話を聴きました。私も発言機会がありました。先日北海道からレジュメを送っていたので、印刷してもらっていました。その一部はこんな感じです。

〈たくさんの「正義」〉
 放射線物質は、目に見えません。匂いも音もしません。放射線物質が撒き散らかされて、1年半になります。宮城県のある人は子どもと妻を青森県に避難することを選択しました。娘さんは砂遊びは大好き。けれども保育園の園庭土壌は放射線物質にまみれているのでした。ある人は、息子の高熱が下がらない原因をたくさん考え悩むのでした。自己を責め、不幸せが覆いかぶさってきます。それらは一部の「ある人」に限ったことではありません。マスクをしなさいと言っても暑い夏。プールに入らない生徒たちは、暑いプールサイドで見学。水の中ではしゃぐ生徒と、長袖長ズボンでそれを見つめる生徒。どれほど心が傷つけられているでしょう。心がざわざわと騒ぎます。
 「牛乳飲ませるなんて信じられない」という言い方があります。「まだ避難していないなんて!」という批判も聞きます。「教員をすぐに辞めて避難すべきではないのですか」という言葉も聞きます。その一方で、「不安を煽るだけだ」「福島とは違う」「県知事が大丈夫と言っているのに」などという言葉も聞きます。ああ、たくさんの「正義」。困難な状況の中、ますます人と人とがそれぞれの違いを分かち合えない状況に陥ってしまっています。悪口はもう聞きたくないです。全員で何とかしなくてはなりません。

〈語り継ぐ努力〉
 「安心」も「自由」も「平和」も、みんな目に見えないし、匂いも音もしません。ひょっとすると、誰も見たことがない「安心」「自由」「平和」。それらを追求する営みは、まさに今です。
 分けられ断たれた人間に明日はありません。人はみんなで暮らします。一人ひとりがみんなちがうということを明らかにしていきましょう。討論や批判し合いましょう。けれども、悪口を言ったり見下したり見限ったり崇めるのは、控えましょう。全員で「今の生き辛さ」を越えていきましょう。
 ことに、子どもたちが生活する環境において、子どものうんと近くにいる教職員。教職員が嘘つきであるならば、きっと子どもたちはそこから〝いろんなこと〟を学ぶことでしょう。嘘つき社会に明日はありません。明日はなくなってしまったら困ります。子どもたちの前に真摯に立ちましょう。自分なき明後日の希望のために、語り継ぐことバトンを渡すこと。若い教職員に話しましょう。意見を異にする中でこそ、自分の言葉を歴史を伝えていきましょう。
 あるときは拳を突き上げ、あるときはその手を繋ぎ、手作りで目に見えないし、匂いも音もしない「安心」「自由」「平和」を模索していきましょう。

 ちなみに北海道からの送信はインターネット環境が整っていないところだったので、ちょいと変則的なことをしました。文書をMacで作りました。タイトルを筆ペンで書いてデジタルカメラで撮りました。それらをMac編集し、pdfにしました。iPhoneをMacにつなぎ、pdfファイルを転送しました。それをiPhoneのメール添付で発送しました。全部iPhoneでできればよいかもしれませんが、まだ難しいですね。
 〈第三回「日の丸・君が代」裁判 全国学習・交流集会〉でいろんな方の話を聴きました。やはり集まること、顔を合わせて会話することは大切ですね。電話やインターネットでは、データだけで伝わらないものができてしまいます。ちなみに、見下す言葉を聞いて、 がっかりもしました。 いろんな意見を大きく包む包容力を身に付けたいと思いました。

 お茶の水でギター屋さんをはしごして、ウクレレのペグを買いました。緩みやすいところがあるんです。新幹線は混んでいましたが、タイご飯のお弁当を食べながら、iPadで映画「恋する女たち」(大森一樹監督)を観ました。斉藤由貴、高井麻巳子、相楽ハル子の映画。何とも懐かしい古くささでした。あの頃のかっこよさとも言えるかもしれませんね。仙台から東北線に乗り換えて、松島まで来ると、帰ってきた〜って感じますねぇ。

2012.08.12

20120812.jpg三本木(8/12)今朝、すごく久しぶりにコイン洗車(大崎市古川中里)に行きました。握力の低下を実感しました。やばいくらいです。そのまま古川駅に行き、連れ合いぴよさんの妹さんファミリー(Yさん一家)を迎えました。みやぎ旅行なんです。

古川から三本木に行きました。ヒマワリ畑です。私は、Yさん一家のファミリーカメラマン。あれこれ注文しながら、撮るのでした。Hちゃんは、ミニSLに乗ったり、お父さんの肩に乗ったりでした。
小牛田のヨーク経由で松山町の家に到着。夕飯は、粉から餃子。みんなでにぎやかに過ごす夜でした。ヨークでは水網も買いました。これであれこれ遊んでもらいましょう。

2012.08.13

20120813.jpg花火(8/13) Yさん一家と一緒の朝です。プールに行きたいという希望があり、小野田に行くことにしました。ウォーターパークです。中新田経由で行きました。軽キャンパーのトラは、4人乗り。小さい子が後ろにねっ転がり、大人は前に...にはちょうどよいのでした。窓を開けて、風をがんがん入れていきました。

ウォーターパークに、私は入らないので、どこか遊べる川がないかうろうろしました。よさそうでも、とても深かったり、薮が深かったり。駒庄の前でもかなり満足な様子でした。
トラで松山町に戻る途中、高倉の川に入ってみました。網を使うためです。なかなかうまくいきません。雨が降ってきました。虹が出ました。松山町に戻り、田んぼの水路でザリガニを捕まえたHちゃん。ふむふむ満足ですね。夜には、家の前で花火を楽しみました。日中が暑いので、夜の涼しさが心地よく、道路でごろりとしたいところでした。

2012.08.14

20120814.jpg水鉄砲大会(8/14)Yさん一家と一緒の朝です。今朝は雷雨。雨が上がって、青空。本日は、涌谷夏祭りです。私は、水鉄砲大会のスタッフ。トラに自転車を積み、カメラを持って出かけます。河原にトラを停めて、会場へ行きました。遅刻してごめんなさい。みんな水鉄砲を作っていたり、修理していたりでした。去年も会っている子たち。覚えていてくれてありがとう。

水鉄砲大会に参加する子どもたち・大人とおしゃべりして過ごしました。カメラマンとしての仕事がメインですが、試合が始まったら、ついあれこれとしゃべりたくなる私。躊躇している子どもたち、もっと前へ! もっと前へ!

途中、Yさん一家も来ました。トラの2階テントを建てておいたので、休憩にはちょうどよかったようでした。朝から午後まで水鉄砲大会。今回は、写真DVDを作るということで、Macを持ってこなかった私は一度家に帰ることにしました。決まった枚数をセレクトして、ナンバリングして所定のUSBメモリーに収める仕事です。なるべく参加したみんなが載るようにしたいのですが、いやはや撮るは簡単、選ぶの大変。遅刻ギリギリ。ナンバリングは途中まで。取り急ぎカブで走りました。今夜は、試写ということでしたので、ドンマイでした。写真屋さんの前でプロジェクタで映写。お祭りの町。知っている方、たくさん。子どもたちもいっぱい。ご挨拶できて、語らえて、よかったですな。カブをそのまま置いて、花火大会に行きました。Yさん一家とは合流できませんでしたが、どうやら松山町に早めに戻るとのこと。私もカブで帰宅することにしました。松山町への田んぼ道、あちこちの花火が遠く輝いていました。夏の夜風。虫の声。幸せな風。

なるほど、Hちゃんは花火の音が怖かったのですね。なるほどなるほど。

2012.08.15

20120815.jpg松島水族館(8/15)今日は敗戦記念日です。今年の私は反戦の集まりには参加せず、Yさん一家と松島水族館です。

私は、水族館が好きです。ペンギンたち、魚たち、それを見入る子どもたち、カップルたち。それら全部の佇まいが好きなんですね。今日はYさん一家と一緒でしたから、尚更でした。幸せな時間でした。
松島から帰り道、奥松島に行きました。月浜で海に触ったHちゃん。結局すっかり濡れてしまいましたが、満足そうでよかったです。
今夜は、Yさん一家最後の夜。ゆったり語らいました。

2012.08.16

20120816.jpgYさん一家(8/14)Yさん一家と一緒の朝です。ゆっくり過ごしました。昼の電車で帰るYさん一家を松山町駅で手を振りました。ああ、今度会うときはもっと大きくなっているんだろうな。楽しみです。

私は、一人研修の日なので、バイクで仙台に向います。宮城県美術館です。松本竣介展。予想以上によいです。創作意欲を喚起されます。私の視点を、私が生まれる前の線に感じる思い。宮城県美術館には佐藤忠良記念館があります。彫刻家忠良さんは、幼少期夕張で暮らしていました。縁を感じつつ、彫刻に囲まれると、凜とした緊張感。人として正しく生きるか、自問する心持ちになります。こちらはまだまだまだまだ暑い夏です。

2012.08.17

20120817.jpg利尻・姫沼(7/30)今朝は、ミンミンゼミ。しばらく行っていない上野アメ横を思い出す。ダミ声兄ちゃんミンミンゼミ。

エンジン付いてる愛車3台。R1100GSは、駆け抜ける自由。スーパーカブ110proは、止まる自由。テントムシは、いびきかく自由。3台それぞれに感謝。serow225は、長い付き合いで別格。でもそろそろさようなら。バイクはホンダ。モーターサイクルならヤマハ。単車ならばスズキで、マシンならカワサキ。鉄馬はハーレー。何となく。

「若き芸術家たちへ〜ねがいは「普通」」佐藤忠良・安野光雅 中央公論新社(中公文庫)を読みました。宮城県美術館で買ったもの。すっきりしました。君は君の道を歩むのでよいのですと、言われたような気持ちです。

連載最終回。一番よく分かる。届く言葉。さすがです。《いじめている君へ》春名風花さん

電車から虹が見えたけど、写真撮れない。誰かに伝えたいけど、この混みようでは難しいかな。
金曜脱券発デモに参加しました。ジャンベ背負っていきました。叩きました。久しぶりの仲間と声掛け合いました。仲間がいる!って実感は勇気につながりますね。デモ帰りの電車で、竹原ピストル「オールドルーキー」、中川敬「ひかり」を聴きました。

へこんだり、なじられたり、浮かれたり、まどろんだり。
はじかれて、顔あげたら、遠くに島が見えたり。
苦労は買ってでもしろなんて、そんなお金なかった。
大丈夫とつぶやく人も、手は貸してくれなかった。

輝け、赤ちゃんの手。
その握るたくましさ。
輝け、赤ちゃんの手。
隣町にも、海の向こうにも。

夕陽に手をふり、しばしの暗闇。
太陽アフリカ照らして、
おはようサンシャイン。

2012.08.18

20120818.jpg利尻・沓形の猫(7/30)雷雨。光ってからすぐに音! 近くに落ちたと思います。効果音CDみたいな、絵に描いたような雷雨。仙台途中下車。急いでタワーレコード。とっても久しぶり。なけなしのお金で、カントリー、後藤まりこ買いました。東北本線上りにぎりぎりセーフ。今夜は介護で名取に行きます。

お金はときどき、人間の権利を買い取っている。お金はいつも、持っている者のためにある。

常日頃、右耳の裏側にいつのまにかに切り傷ができること、右大腿部膝よりに黒血がよる(この表現は方言)こと、原因不明。誰に聞くものでもなし。
「悪い人」を全員殺せば平和になる…なんて思っている大人、きっといるんだろうなあ〜と、Twitter読みながら考えます

みんなご飯を食べる。
安全地帯にいる人も
ガラスバッチぶら下げてる人も
自販機釣銭覗く人も
夜道でハンドル持つ人も
悪口言ってる人も
ばあちゃんの話を聞く人も
マジェスタ乗ってる人も
行列作っている人も
卒業ライブで泣く人も

「将来のため」と、子どもを狭い世界に留めたり、豊かな経験の機会を奪ったり。「国民のため」と、人を振り分け、要不要を整理したり。委ねることは、服従そして従属に繋がる。だから大人になっても、うろうろおろおろ。でもね、自分の道を歩むのです。たとえ間違っても迷っても、自分の生きる道。

とても好きな女優・蒼井優さんと、よく知っている身近な人が、同じ誕生日だったことを知りました。やっぱり誕生日って大切。そして、どうでもいいことなんだよな〜と感じました。

2012.08.19

20120819.jpg南相馬・小高(8/19)今日は、岩沼の病院に知り合いのお見舞いに行きます。途中、仙台市立荒浜小学校の様子を見ました。名取市閖上にも寄りました。津波被害がどんなだったか見ないままでいたので、来たかったんです。被害甚大。けれども、一年半前の様子とは、かなり変わったことでしょう。瓦礫は片付けられていました。盛土の見本がありました。

岩沼の病院でお見舞い。思ったよりもお元気でほっとしました。その場で絵手紙を筆ペンで書いてプレゼントしてきました。もう30年近いお付き合いになる方です。とても大切な方です。

バイクで角田に向います。懐かしい風景、懐かしい川。駅前あたりに来たことがあるラーメン屋さんがあったはずですが、分かりませんでした。山を越えて、山元へ。そして16号線を南下しました。今日の目的地は、南相馬。立ち入りを制限されるところまで行こうと思いました。16号線は、海岸線からは離れているので、横道に逸れようかと思いつつ、時間がないので止むなく国道です。交通量も普通通りといった様子でした。新地の火力発電所を眺めながら南下します。久しぶりですな。

南相馬でも交通量は変わらないなぁと思っていたのですが、小高に入ったあたりからがらりと変わりました。人も車もなくなったのです。相馬のパチンコ屋さんでは駐車場が満車状態だったのに。海岸の方を見ると、かつての石巻あたりと同じように車が放置されていました。 
立ち入り制限の検問に何とか辿り着きました。ほっとしました。夕暮れが近いのです。何とか明るいうちに着けた。

小高の家々には人はいません。地震で崩れていて、窓が開いたままで、いわゆる3.11のまんまの状態なんです。小屋の中にコンバインがありました。水路を覗くと、何だか分からないけれど大きな生き物がばしゃばしゃ逃げていきました。田んぼ道を海のほうにに向かいました。電柱が45度の傾斜に傾いたまま、電線に釣られていました。ぐちゃぐちゃになった車。タイヤにはフジツボ。海に入っていた時間が長かったのでしょうか。鳥たちは、驚くほど多く、にぎやかでした。珍しい人間の登場にぎりぎりになって羽ばたく様子でした。6時になったとき、地域一帯に放送が流れました。「遠き山に日は落ちて」誰も聞く人がいないのに。まさに山に日が落ちそうなとき、私は大きな恐怖を感じました。見渡す町に家々があるけれど、誰もそこにはいなくて、あの日が落ちれば、ここは真っ暗になる。しかも、震災以来のままの場所だ。ジブリの「千と千尋の神隠し」で暗闇が支配する場面を思い出しました。まずい、早く人間が暮らしているところに行かなくては! 自然の森の中ではきっと感じなかったでしょう。ここに町が(人が暮らしていない町が)あるから、怖くなったのだと思います。

それでも径を走りたい私です。南相馬市立福浦小学校を見つけました。暗くなった中、自転車置き場を見ると、ヘルメットが乗っかったままの自転車が何台も置いてありました。避難現場を想像しました。自転車小屋を見てしまったものですから、あちこちの自転車が気になりました。暗がりの中、小さい自転車ばかり目に入りました。あちこち行き止まりに包囲されながら、がたぼこ道を走り、原町まで行きました。家々に明かりが灯っていて、ほっとしました。しばらく行くと渋滞になりました。なるほど、夏祭りなのですね。着物を着た女の子たちが歩いていきます。ほんのちょっとの距離なのに、あっちとこことの違いはなんなんだと考えました。今も考えています。

名取の介護先に寄りました。ちょっとだけお話をして、松山町に向かいました。いつもの道を走りながら、南相馬の小高の闇を思いました。炭鉱閉山で人がいなくなる様子を夕張でいっぱい見ました。宮城県沿岸部の津波被災地は、何度も足を運び分かっているつもりです。しかし、今日見たものは何だったんだろう。どのように言葉にすればよいか、まだ考えています。

2012.08.20

20120820.jpg南相馬・小高(8/19)先日読んだ沢木耕太郎さんの文章に「旅の適齢期」という話がありました。はっとしました。私は10歳には、ほっつき歩いていましたので、心当たり大ありですが、お金ない大学生時代に国境を越えなかったことが、悔やまれます。冒険はたくさんあったけど。47歳にして、まだおろおろしている私です。

2012.08.21

20120821.jpg南相馬・小高(8/19)今日は、町の防災講演会の日でした。私は、防災担当なので朝から会場準備などをしました。講演会が始まってからはカメラマンでした。

明後日8/24は研修会や会議が満載。仙台脱原発金曜デモに参加したいけれど、間に合うか分からない今。どなたかぜひジャンベ持って参加してほしいです。よく値段を聞かれます。10万円くらい?なんて言われることしばしば。いいえその1/5より安いです。ギターより手軽。ぜひあなたも。

来週月曜日が、二学期始業式。今日集中して新学期準備を進めよう。懸案は、脚本。学芸会の劇。楽しくも苦しい、臨月少し前。

2012.08.22

20120822.jpg南相馬 南相馬・小高(8/19)忙しい夏でした。今になって「母の友」8月号(福音館書店)を読みます。ああ、「母の友」は偉ぶらない近所の(僕が子どもの頃も知っている)静かなおばさんのようです。見守られている安心のような居心地のよさ。

2012.08.23

20120823.jpg石巻市街(8/23)今日は、鉄道で学校へ向います。夕方石巻に行く予定があるからです。ソウルフラワーユニオンモノノケサミット&二階堂和美LIVE(石巻ラ・ストラーダ)です。今日は、プール当番。夏休み最後プール。ついついサービスしたのでした。ぶん投げサービスです。ああ、夏休みも終わりだね。

仕事を終えて、石巻線でラ・ストラーダに向かいます。高校生がまったりとジーゼルカーを待っている雰囲気は、何となく悪くないですな。石巻に着き、ラーメン屋さんでラーメン食べました。ラ・ストラーダに向かいます。引っ越して初めてのラ・ストラーダです。階段が急です。車椅子を上げるの得意ですからと、かって出ました。行くと、連れ合いぴよさんはもう到着していました。

二階堂和美さんの満月の夕。出だしから泣きそう。ああ、素晴らしかったな。予想を超えた、期待以上の充実感。プールでついつい入ってサービスしすぎたので、21時にはスイマー睡魔ですいません。ニカさんCDにサインしてもらわず帰宅でした。自由奔放であるという魅力。見習いたいです! 何度も聴いていますが「がんばろう」は懐かしく、私の魂の歌のようでした。

2012.08.24

20120824.jpg図工研修(8/24)今日は、職員会議がありました。いよいよ2学期が始まるのであれこれと混みあっています。午後から東京の図工研究会の皆さんが出前講座でいらっしゃいました。新聞紙を使った実技研修でした。なるほど!という感じ。

夕方に休暇取って、仙台へ向かう東北本線。脱原発デモ。今日はジャンベ仲間に会えるでしょうか。今日のおまけ楽器は、フライパン。昨日のソウルフラワーユニオンモノノケサミットのTシャツで向かいます。ちなみに、二階堂和美さん聴きながら揺れる電車。

昨日のソウルフラワーユニオンモノノケサミットLIVEで改めて思ったこと、私のデモ歴40年以上ということ。「がんばろう」とか物心つく前からきっと聞いていた炭鉱町夕張。今日のデモに参加する小さい仲間たちよ、今の大人が死んでしまった後も、命守る営みを続けていってくださいね。

仙台脱原発デモ。太鼓増えて嬉しかったです。帰宅して、連日のお疲れ癒すため、ひさしぶりに大きなたらいに氷を入れて、水ちょっと入れて、そこに足入れるんです。くうう〜っ!って感じなのですな。

2012.08.25

20120825.jpgガスレンジ(8/25)カブのオイル交換をしました。台所のガスレンジを新しくしました。

文化は「個人」では作れないって気づきました。「作る」より「できる」でしょうか。「歴史」という言葉にも考えが及びます。言葉・概念・背景を研究する喜び、始業式前の小学校教員としては眩しいです。

国境争いはボスがして、現場で苦しむのは私たち庶民で、嫌なことなんてみんなでやったらそれでいいのに、ボスの正義には付き合いきれないのです。ああいろんなケース、当てはまるはず。

2012.08.26

20120826.jpg名取・閖上小学校体育館(8/26)今日は朝早くからカブで出かけます。目的地は南相馬です。先週訪れましたが、夕方近くに到着したので、あちこちは行けませんでした。クマゲラ号(R1100GS)よりも、カブならあちこちに気軽に入れますし、何より気軽に止まれます。オイル交換もしたので、ばっちりコンディション。沿岸線をなぞるように南下します。

多賀城で埠頭に入ってみました。新幹線車両を運んでいました。何となく新鮮でした。そのまま産業道路へ。荒浜小学校の校庭を見ました。バイクが並べられていました。二宮金次郎が引きちぎられて、寝ころんでいました。

閖上小学校に行きました。体育館が開いていました。入ってみて、どきっとしました。写真やランドセル、位牌も並んでいました。ボランティアさんたちが泥の中から救出してくれたものが並べられていたのです。優しさと温かさと悲しさと悔しさと、いろんな感情・魂がミックスした佇まいに、息が苦しくなりました。ああ、大変なことがあったんだ。

岩沼からそのまま海岸沿いに南下します。山下第二小学校の校舎を見ました。ここからの避難は山の上まで大変だったことでしょう。中浜小学校に行くと、校舎にたくさん人がいました。被災地視察ツアーのようでした。石巻方面の被災状況と何となく違う感じがしました。相馬の浜では防波堤が崩れていました。リアス式海岸とは違う風景です。原ノ町駅が営業していました。唐突な感じで、驚きました。

南相馬の道の駅に行くと、たくさんの子どもたちが遊んでいました。食堂で、メンチカツを食べました。さすがに地元椎茸を売っているのにはどきりとしました。とりあえず、売る人責めるより、驚くような状況作った人たちを責めようということ。被害被っている私たち。つながり合う仲間は、とてもとても広範です。

小高地区に入ったら、やっぱりぱたりと人が途絶えました。私は、小高小学校を訪れたいと思って、うろうろしました。あちこち倒壊したままの家だらけです。駅に行ったところで、警察官に呼び止められました。「大崎市」ナンバーのカブなので、どこから来たか分からず尋ねたとのことでした。居住制限地域なので、空き巣なども多いらしいです。せっかくなので、いろいろ聞きました。小学校の場所など。すると、静岡からの派遣なのでよく分からないとのことでした。自費でiPadを買って、地図アプリで調べたりしているとのこと。海のほうは放射線量が低いけれど、山のほうはホットスポットがいっぱいあるから、できれば行かないほうがよいですよと言っていました。なるほど、ありがとうございます。

うろうろして、小高小学校を見つけました。地震の影響はさほど感じられません。教室を覗きました。ある教室の黒板に担任の手紙が貼られていました。「おかえりなさい。そしてまたそれぞれの場所へ いってらっしゃい。どこにいても みなさんにすてきなこと 楽しいことがたくさんありますように」「うつっている写真がありましたら お持ちかえり下さい。」 教室には20人分の席があり、そのうち10人分の席には道具袋など持ち帰るものが置かれたままでした。ずしんとしました。これが、放射線被曝の実際だと感じました。 http://t.co/FrNnD4uf

山のほうに向ってみましょう。金房小学校に行ってみました。地震による倒壊などは見られません。体育館を覗くと、中央にストーブが置かれていました。体育用のマットがあちこちに敷かれていました。飲み物の後やパイプ椅子がそのままでした。きっと地域で避難してきたのでしょう。ああ、あれから一年半ですが、ここはずっと片付けられることはないのかもしれません。ところどころで人がいるようでした。美容室のネオン看板が光っていました。山あいに来ると、津波の被害がない分、避難しなくてはいけないような感じがしません。豊かな森です。「開拓碑」が立っていました。そこには高村光太郎の詩「開拓十周年」が彫られていました。悔しくなりました。申し訳ない気持ちになりました。http://t.co/CymYMYqf
山に上がっていくと、浪江町との境で、バリケードが築かれていました。「殺処分反対」「東電、国は大損害つぐなえ」「希望の牛達を生かして」「殺処分、餓死はやめよう」という看板がありました。牛たちは夕日を浴びていました。黒い牛たちは、かわいいんだよね。あんただれさ?と言われたような気がしました。宮城から来たんだよと話しました。線量計で測ると、5.4マイクロシーベルト。牛たちに申し訳ないです。

山を下りて、先週訪れた福浦小学校に行きました。校庭に設置された線量計は0.265マイクロシーベルトを示していました。学校を出た向こうの畑におじいさんがいました。

Twitterで発信しながら歩いていました。するとある方から「ひあ〜 相馬でなにしてんですか」と書き込みがありました。そりゃあ「様子を見ている」ってことですな。放射線空間線量測定器を持っていなかったら「なんてことない」津波も来ていないのどかなところ...のなんと多いことか。今日も学んだこと多い一日でした。暗くなる前に南相馬を後にしました。学ぶこと多き一日でした。原発はもう動かしてはいけないと、実感した一日でした。

2012.08.27

20120827.jpg南相馬・小高(8/26)始業式です。ああ久しぶりだったね! もっと休みが長いほうがいいという人も、早く学校に来たかったという人も。さあ、始まりますよ。

何も言わない表現しないことが「中立」というわけではないです。それは「黙認」。いじめや悪政にどう向き合うかも同じです。黙っていることが「0」ではないのです。子どもたちのためとか、未来とか、そんな言葉や思いは、前向きに表現されてこそ実るもの。そう感じる震災以降です。

2012.08.28

20120828.jpg桜の木(8/28)まだまだ暑いです。生活科で校庭に出て、春との比較です。植物、虫たち。セミの抜け殻集め。集め始めると、さっきまでどうでもいいと思っていた人も、固執し始めます。ああおもしろかった。

プールにも入りましょう。夏休み中に、がんがん泳げるようになった2年生。すごいんです! 水に顔付けるのが苦手だった人も25m泳げちゃう。ゆっくり泳ぐこと。「息継ぎ」を教えないで「ぶくぶくぱっ」を始めから習慣づけさせること。あえて深いほうで練習すること。ビート板は使わないこと。そんな私のやり方。

2012.08.29

20120829.jpg学校帰りの夕空(8/29)福島第一原発20km以内を訪れ確信しました。やっぱり原子力は人間の手におえません。津波被災地は天災ゆえの仕方なさが漂います、悔しいけれど。でもね放射能被曝は人間によるもの。壊れていない家を急いで後にしなくてはならない辛さ。現場を訪れて実感しました。収束とんでもない。

駐車すべきではないところに、ドアロックせずに、自家用車を置いて、そのままにしなくてはならない…というイメージ。放射能拡散によって、暮らしていた日常を奪われるということ。そんな思いを想像すること。

気分転換必要な夜、コンビニまで散歩。普段飲まない缶チュウハイ買ってみる。虫たちの秋の奏で、誰が何か分からない不甲斐なさ、ごめんよ。ソクラテスさんが「無知の知」囁く。まだまだな自分省みながら、背後に流れるコンビニ店内のJPOP。遠くに夜行列車の響き。

矛盾に満ちている。それは今に始まったことではない。開き直らず、誰をも誹らず、何とかして穏やかで清々しい日をみんなで迎えることを、もがきつつ諦めない。簡単に自主退場できない自覚、それゆえの重さ。虫たちの歌に己が道筋確かめる。だいたい孤独。でも、ときどき安らぐこともあるものさ。

2012.08.30

20120830.jpgカラーコンテ選び(8/30)早朝「落ち着いて行動してください」以外よく聞こえない防災無線。震度5らしいですが。サイレン鳴らして防災無線、震度4を知らせ直し、してくれなくてよいです。

図工でこすり出しをしました。まずは鉛筆で教室内で。次にカラーコンテを持って外へ。楽しかったね。紙版画へつなげる活動です。

「せんせい、はなくそがひだりのはなについているよ」と言ってくれる小学2年生に感謝します。なんというか、信頼関係!ですな。

小学2年生の国語の授業の準備しながら、詩を学ぶことは、自由を学ぶことかもしれない。なんて、風通しよい気持ちになったり、ことの大きさに襟正したりするのでした。

2012.08.31

20120831.jpg山元町立中浜小学校の体育館(8/26)20年前の学生時代に魂に触れたマンガは、いくつかあるんです。その中の1つは「石の花」(坂口尚 潮出版社)。久しぶりに第1巻を読んで、青年だった頃の自分が目を覚ましました。しっかりしろよ!と激励されちゃいました。しっかり暮らしましょう。

記録ばかりで記憶しない傾向。知りたがりなのに努力しない。そんな雰囲気漂う昨日今日。Twitterも自動改札機もスタッドレスタイヤもCDもプルタブ取れない缶ジュースもなかったあの頃の青少年に「それで自由になったのかい」と問われたら、何と答えればよいでしょう。

想像力。親戚の家に何ヶ月お邪魔し続けられるか。何ヶ月ご飯出してもらえるか。訪れる側だけでなく、迎える側としても。包容力忍耐力。「絆」の一文字だけでは至らない、綺麗事ばかりではない被災地現場を知る義務、学ぶ必要。こと被曝地深く考える今。「絆」って何?と問うこの頃。

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