2012.10.01

20121001.jpg学校駐車場からの月(10/01)疲れること重ねるけど、
そんなこと今に始まったことでないさ。
何とか生きながらえ、希望は失わず、
明日もご飯を食べる。
たくさんの人に出会ってきたこと。
たくさんの後悔越えてきたこと。
全部これからのための、
何かになるさ。
先人先輩たち、
きっともっともっといろんなことあったろうさ。

2012.10.02

20121002.jpg劇の衣装少しすつ(10/02)今朝こんな夢を見ました。t先生が学校現場復帰の権利を訴えた裁判。その判決。病院の待合室のようなところ。2年生のmちゃんと一緒。私は整理券42番。けれども、mちゃんと後ろに座る。たくさん傍聴者。学生時代からの友人たちは歩行難しく、車椅子使用。シャッター開いて裁判官。小さい声で棄却。そこから話し合いが始まる。

「あ、オスプレーじゃない!?」とは、今日の小学2年生の教室での会話。「ちがうよ、山口けんのなんとかってところとおきなわだよ」「それにつばさがこんなに(動作)なっているよ」と言っている2年生。よく知ってるね〜と、驚いた担任でした。

夜はPTAの会議でした。持久走大会の日の豚汁作りについて。ああ、秋ですなぁ。

2012.10.03

20121003.jpg庭訪れた若い猫(9/30)今朝の夢はとても長かったのですが、メモできたことはこのくらいです。学生寮の大部屋。机は職員室と同じ。大掃除。机移動するといろんなものが出てくる。kさんちのtちゃん。黒縁眼鏡。まだ寮食残っているかなと深夜に帰ってきた。

今朝の朝日新聞(10/03)投書欄の徳原さん・大原さんに共感しました。子ども育む大人として。互いに支え合う庶民として。

午後、造形教育作品展の地区審査の出張でした。いろんな作品見るのは、とても勉強になります。授業を見るのが好きなのと同じように、作品見るのは大きな学びです。反省して、また明日に向います。前任校のK先生にうーと久しぶりに会えて嬉しかったです。

2012.10.04

20121004.jpg劇の練習(10/04)学芸会(一般公開)は13日。日数あるようで時間なし。学芸会(児童公開)は水曜日。連休あるから、練習できるのは今日明日火曜日。本番3日前。ステージ練習できるのも、あと3時間。創作劇ゆえの追い込まれ窮地。ま、いつものこととも言えるけれど。

昨晩あれ?と思いました。気配を感じたのです。そして今夜確信しました。間違いじゃなかった! キンモクセイです。キンモクセイの香り。姿見えないのに毎秋この存在感の大きさ。しんどい気持ちをしっかと支えてくれること。ああ感謝です。田んぼ焦がす匂いと共にますます夜が長くなります。

昔、少年時代は犬が友。ひょっとすると、犬だけが友。いつからだろう、犬よりも猫に支えてもらっている。しかも、私を支えるなんて鼻っから考えてもいなさそうな、行きずりの猫たちに。それゆえ、 私の漂う旅は、続くのだった。

2012.10.05

20121005.jpgトマト トマト(10/05)今日の生活科の時間に、トマトの撤収をしました。支柱を外し、土を取って、枝と根をさよならしました。一段落です。まだ実っていたトマトはお持ち帰り。水やり用のペットボトルに入れるときれいで、うれしかったのでした。

教職員組合本部執行委員と一緒に町の教育委員会に行きました。労働条件って、まさに生きる権利。死んでしまうこと、それは生きていかないこと・生きていけないこと。みんな、生きていける限り、ちゃんと人間として暮らし続けたいものです。地元の教員、同席するって大切って、ちょいと感じた今日でした。

大滝秀治さん、御冥福をお祈りします。ああ、芝居人生歩んでいれば…と、また思う夜です。夕張北高行かず、劇団入ること思った30年前。魂衰えず。

表現の自由とは、
デモの自由、
歌の自由、
手紙の自由、
服装の自由、
まだまだ広がる。
人間の自由。
自由であるべき人間。

2012.10.06

20121006.jpg庭のカエル(10/06)今日は休日。昼までのんびり、昼寝もしました。午後、東松島市の仮設住宅集会所で学習支援。初めて百人一首を持って行きました。中学生が書いた小説を読ませてもらいました。いつものみんなとあったかい時間を過ごしました。私は、漂う旅人人生ですが、あっちこっちに「ふるさと」があるような豊かさを感じることがあります。それは、出会う皆さんのおかげ。感謝感謝です。

帰り道、レンタル映画『蟲師』(大友克洋監督)を借りました。蒼井優さん出てるから。夕飯は、鍋。食べながら、観ました。良かったです。ああ、休日也。

世の中からなくなってほしいもの、サービス。サービスは、下心社会をより一層罪深いする。真心や感謝は、サービスではない。損得社会が、みんなで助け合う文化を壊してしまう。

2012.10.07

20121007.jpg山形(10/07)ちょっと寝不足です、風邪気味ですが、山形脱原発デモに参加するため、電車に揺られています。朝、布団の中では、バイクにジャンベ積んで行けばいいと思っていました。福島にもそんなふうに行ったことあるし。けれども、行くのはいいけれど帰ることを思うと重くなりました。きっと寝不足もあり、県境越えるのがきっと大変になるに違いないと。そんなわけで、電車で向うのでした。

山形駅は、久しぶり。泊まりドックのとき、全国教研のとき。とすると、なかなか久しぶりです。駅前の大きな通りを行くよりも脇道を選びます。そんな脇道も、いつぞ歩いた道。お蕎麦屋さんに入り、新蕎麦・ざるそばを食べました。ああ、秋です。

第二公園に到着したら、デモの準備をしている方がいました。友人に来て来たこと、ジャンベ鳴らせてもらうこと話しました。温かく歓迎してもらいました。しばらくして、ミニアコーディオンを持ってきた方(Oさん)に声を掛けられ、お話しました。公園には蒸気機関車がありました。懐かしい86(8600系)です。懐かしいと言っても、少年時代の鉄道雑誌でのこと。86が動いているところを見たことはありません。スポークホイールの車輪がC57とおんなじだなぁと写真撮りました。子どもたちがたくさん遊んでいました。しばらくして、MKさんファミリーが来ました。手を振りました。

デモは、とても温かなまったりした感じ。私は、前のほうでジャンベを鳴らします。デモコールの方が替わる度にリズムが少しずつ違い、いつも(仙台・東京...大阪・福島)よりも、休符多めでした、ごめんなさい。途中で雨が降りましたが、ドンマイでした。

デモを終えて、公園に戻り、いろんな方のスピーチを聴きました。子どもたちの声が、とてもよかったな。発言した子どもたちが大人になっても、まだ放射能の問題は解決していないでしょうから、ながーくながーく、語り継いでいかなくてはならないと感じています。私も「大崎から来た太鼓叩く人、お願いします」と言われ、話しました、いやはや。

体調不良、なかなか風邪気味、やること山積...という状況でしたが、やっぱり山形に来てよかったです。いろんな方と出会うことができました。語らいました。志津川の素敵なOさんにも会えて嬉しかったです。真直ぐに生きている(困難の中で)若者、絶賛応援!です。

インターネット時代は、いろんな人と出会った気になるものですが、やっばりちゃんと出かけて、顔合わせること、大切です。会って話した時間、しんどいときの支えになります。皆さんありがとうございます。

山形の本屋さんで「ストラト」(中川いさみ)の1巻を買いました。「ストラト」という題名にぴん!と来たものの、私が行く本屋さんでは3巻しか売ってなくて、買いそびれていました。仙山線で読み、納得しました。にんまりだな。でも、疲れていてぐーっと眠りました。進行方向がどっちか分からない感じのまま仙台に着きました。パトロールして帰ろうと思っていましたが、くたくたなので仙山線から東北本線にすぐ乗り換えです。山形脱原発日曜デモ、行って良かったです。無理しても、行動するものですね。今日は山形に行ってほんっと良かったです。しんどい状況越えるためにはみんなでおもしろいことするに限ります。今日出会えたたくさんの皆さんに感謝です。

夕飯を食べながら、TSUTAYAで借りてきた映画DVDを見ました。今日は「トロン:レガシー」(監督ジョセフ・コジンスキー)です。予想通りでした。前作をちゃんと見ないといけないなと感じました。

重いこと。
しんどいこと。
暗いこと。
複雑なこと。
それらに対峙し越える私たち。
軽やかに。
おもしろく。
明るく。
そのまんまに。
歩んでいけるといいですね。
ワンクリック幸せは、
ないですけれど。

現代社会(管理・競争・格付け・差別・無縁・見切り・自己責任…)を、どれくらいほぐしていけるかな。手に楽器、唇に人の言葉、後ろにはなかま。

2012.10.08

20121008.jpg山形第二公園の86(10/07)今日は、文書仕事をして、昼ご飯を食べて、トラで出かけました。劇準備のあれこれを模索しながら、鳴子温泉・西多賀温泉へ。疲れたとき、ひとピリオド付けるとき、いつも西多賀温泉のきゅーっとした湯に、メンテナンスしてもらっています。今日も、この夏の疲労をメンテナンス。ずれているところを整えて、あんばいよくしてくれる大地と宿の営みに感謝するのでした。

帰宅して、夕張と電話でお話して、夕飯を連れ合いぴよさんと食べるのでした。

昨日、夕張北高校の同期会が札幌でありました。迷った末参加しなかった私。どんなだったか気になります。ああ、頑張って参加するとよかったかなぁ〜

あちこちで種まき
水やり忘れがち
でも太陽も雲も
知らんぷりしない
芽が出たり食べられたり
季節めぐり移ろい
いつ花咲くか 実るか
誰も答えを知らない
それは信じるだけ
それは忘れないだけ

2012.10.09

20121009.jpg朝の田んぼ猫(10/9)
おにぎりがいてくれれば
きっとなんとかなるんだ
嵐の夜もひとりじゃない
峠を越えて森に迷っても
ひとまず腰をおろすのさ
おにぎりくんありがとう
ありがとうおにぎりくん

2012.10.10

20121010.jpg1年生の劇(10/10)今日は学芸会の児童公開。2年生は創作劇「にじ〜もも村たまねぎ村の物語」。予想したことだったけど、みんな緊張していましたなぁ。台本は、もっと練り込むべきだったなぁと、反省。毎度のことですが、自分で書いたものを自分以外の人にやってもらうのは、とても申し訳ないような気持ちになるものです。でも、そんなチャレンジをやめない私だったりして、いやはや。
ちなみに劇の最中は、音響効果操作もギター伴奏も太鼓効果もやるので、写真は撮れないのでした。

老眼がぐっと進んでいて、近く見るとき、遠い用眼鏡はほとんど外している。外出先で裸眼でいる時間が長くなる。裸眼ったら高校生以来。

歩いたところが道になる。
迷ったところ広場になる。
あちらこちらに道と広場。

2012.10.11

20121011.jpg山形の金木犀(10/ 山形の金木犀(10/7)
誹謗中傷は、暴力。
目に見えなくても、匂いせず、
音たてずとも、暴れる力、
すなわち理不尽。
言葉の棘が、暮らしを命を奪うことあるのに。

2012.10.12

20121012.jpg劇の練習・スープを飲む場面(10/12)子ども時代のことを知っているという仕事。それが教員。幼稚園の先生が、小学生に掛ける言葉って、なかなか染み込むんです。小学校教員としても、卒業した中学生・高校生・みんな...を、どれくらいあったたかく包み込めるかな?と、思ったりするのです。というか、これこそ小学校教員の仕事。

2012.10.13

20121013.jpg2年生(10/13)今日は学芸会です。2年生は創作劇「虹〜もも村たまねぎ村の物語」です。例によって、私が作ったわけですが、本日もとても申し訳ないような気持ちでいっぱいです。ごめんなさいねというよりは、がんばってくれてありがとうという気持ちですな。

夕方帰宅して、東北本線と石巻線で学芸会反省会会場へ。あんまりは飲まずに帰りました。まずは、一つ行事が終わったということ。

毎回のことですので、台本も公開しましょう。これまた毎回のことですが、練習をしながらセリフなどどんどん変わります。これは最初のたたき台。

弱音吐くための環境やら何やら。きっと大切。
世の中「重要」「大切」だらけだけれど、
本当の大切は、きっとささやかにはかなかに。
今夜もまた昨日同様に粗末に扱われる理不尽。
ああ弱音も憤りも口にしながら、
みんなでなんぼかでも人間らしい暮らしをすること。
命じられるのではなく自ら模索する明日。

2012.10.14

20121014.jpg虹の劇の朝の虹(10/13)仙台市市民活動サポートセンターで「市民による就学相談会」(共育を考える会主催)を行いました。去年と同じ和室で、ijさん・ikさん・obさん・私が、さあ今年はどんなひとときになるかなぁ〜と待っていました。AちゃんファミリーとBちゃんのお母さんがいらっしゃいました。ようこそ! ぱぁ〜っと賑やかになりました。子どもの存在って、花みたいだなぁと感じました。

専門機関は、普通学級は無理と言っていること。
 Aちゃんのお母さんのお話を聞きました。Aちゃんは来春小学校入学であること。Aちゃんはうんと幼いとき手術を要する状況だったこと。他の子より「遅れ」があるらしいこと。専門機関は、普通学級は無理と言っていること。保育所でみんなと一緒に過ごす中、いろんなことができるようになってきたこと。入学予定の小学校に相談に行ったこと。特別支援学級新設予定であること。将来基本的なことができるようになったら、普通学級に入れたいこと。
 お母さんが話している傍らでは、Aちゃんと妹のCちゃんがお父さんとお絵描きなどしていました。AちゃんもCちゃんもお母さんに絵を見せたいのね。あらまー、ファミリーっていいなぁという雰囲気でした。「市民による就学相談会」は、「専門家」の相談会ではないので、わいわいしていて大丈夫。なんてったって子どもが中心です。「どれどれAちゃん、絵を見せてください」「おー、上手だねぇ〜」ってな感じで進むのでした。
 Bちゃんのお母さんのお話も聞きました。Bちゃんは来春小学校入学であること。生まれつき体に麻痺があること。普通学級入級を希望しているけれど、専門機関は「普通学級は無理」と言っていること。
 Bちゃんのお母さんは、あちこちで相談をする度に「できないこと」を繰り返し指摘され、どこでどのようにBちゃんが育っていくか(生きていくか)「レールを敷かれているような気持ちです」と話していました。ああ、「専門家」の言葉、私の耳にも聞こえるようです。Bちゃんのお母さんは、Aちゃんファミリーを見ながら「Bちゃんも連れて来るとよかったです」と言っていました。来年の相談会にぜひいらしてほしいです。体験談がきっと誰かの力になります。
 さて、Aちゃんのお母さんのお話を聞き、飯嶋さん・石川さん・小原さん・私がお話しました。その後でBちゃんのお母さんのお話を聞いてみんなで話しましたが、Aちゃん・Bちゃんの置かれている状況はどうも似ているようでした。

本当はどうなんでしょう。
 「専門家」の方々は、普通学級でAちゃんBちゃんが学習することが無理なことと話しているようでしたが、本当はどうなんでしょう。みんなで話し合いました。学校に「入れてもらう」のではありませんよ。普通に通学し学習できるような学校にしてくださいと、当然の権利として求めてよいことなのですよという話がありました。スロープ作るのも、手助けする人を配置してもらうのも、求めていいんです。学校選択を「専門家」に委ねることはありません。世の中の真ん中に、子どもがいるんです。
 「特別支援担当の専門的な先生に付きっきりで教えてもらう」ということを、いろんな角度から話し合いました。もしも特別支援学級を選択した場合、AちゃんやBちゃんと息が合う教員だといいですね。合わなかったら辛いかもしれません。普通学級ならば、たとえ学級担任と意志疎通がうまくいかなくても、回りには同学年の仲間がいます。学級担任は、AちゃんやBちゃんだけに付きっきりでいることはできません。「目が行き届かない」はデメリットばかりではなく、メリットだったりします。教室で一緒に過ごす仲間が支えてくれるんです。支えられるばかりでなく、支える関係も生まれることでしょう。普通学級ならば、いろんな可能性があるということ。いじめられることもあるかもしれません。辛いこともあることでしょう。けれども、ワクワクすることや、友だちと一緒に学ぶ喜びもきっとあるはずです。AちゃんやBちゃんからみんなで学び合う機会を奪うのはひょっとすると簡単です。そして奪わないことも、簡単です。
 普通学級を選択せずに、特別支援学校や特別支援学級を選択する権利ももちろんあります。決めるのは、本人そして保護者です。「障害」があっても普通学級で学習していって、途中で特別支援学級に入級する人もいます。「障害」が学校に理解されている場合、多くの場合それはかなりスピーディーに進みます。
 一方、特別支援学級に通っている人が、途中で普通学級に移ることはスムーズには進みません。それまでに学習してきた内容が異なってしまっていることが一つの原因です。もう一つ、特別支援学級に在籍したところで「普通」な関係が絶たれてしまうことが挙げられます。幼稚園・保育所までは、何ということもなく一緒だったのに、数年分けられてしまうと、「元々の友だち関係」ではなくなってしまいがちなのです。残念なことです。特別支援学級から普通学級に移る例はもちろんありますが、最初からみんなと一緒なら問題なしです。

「助けて」も「助けるよ」もお互い様です。
 2時間以上いろ〜んな話がありましたが、ここでは全部は載せられません。ごめんなさい。AちゃんとCちゃん、長い時間大人の話し合いに付きあってくれて、ありがとうございました。いっぱい素敵な絵を描きましたね。
 Aちゃんのお母さんとBちゃんのお母さんは連絡先の交換をしていました。ああ出会えてよかったですね。
 共育を考える会では、AちゃんちもBちゃんちも支えます。もしも学校や教育委員会などに行くとき心細かったらお知らせください。同行します。しんどいときに独りぼっちでいることほど辛いものはありません。逆に、誰かに寄り添ってもらうことは心強いことです。み〜んなお互い様です。
 読者の皆さんもお知らせくださいね。「助けて」も「助けるよ」もお互い様ですから。これからも共に育てて(私たちも)育っていきましょう。最後になりましたが、oさん、kさん、tさん、hさん、iさん、就学相談のチラシまきありがとうございました。(共育を考える会「このゆびとまれ」に掲載原稿)

就学相談会を終えて、タワーレコードへ。また、アフリカミュージック買いました。豚カツゆっくり食べて、久しぶりのヨドバシカメラ。Zeppがなくなってびっくりの仙台駅東口でした。そして名取に介護に行く夜。介護を終えて、終電降りて、駅からの帰り道、強く輝く星と目が合った(気がした)。調べたら、木星だった。ああ、太陽の輝き。

尊敬する先輩に「あなたが教員を辞めて喜ぶ人がいるならば辞めちゃいけない」と言われたことがあります。しんどいですが、現状に疑問を感じる人が一人でもいることは希望でもあります。休みつつ歩みましょう。
基本的にずっと昔から飄々としながら七転八倒鼻歌交じりな人生なんです。良いことも悪いこともミックス充実。仲間があちこちにいることが、なによりです。

2012.10.15

20121015.jpg藤島旅館(10/15)川渡温泉・藤島旅館のお風呂にひ〜さしぶりに入ってきました。メンテナンスですな。

忘れぬうちに歌にして
綿毛をつけて風に乗せ
ほどけぬ雲に包み込む

この夏、ずっと聴いているGiant Panda Guerilla Dub Squad  YouTubeで見つけました。なるほど、こういうことやりたいです。"Get Me Through" http://t.co/126hmhsO

2012.10.16

20121016.jpg1980年頃の夕張今日は、忘れない日。1981年10月16日、北炭夕張新鉱ガス突出事故。

2012.10.17

20121017.jpgたろうと2年生(10/17)学芸会頑張ったら「たろう」を連れてくるって2年生に約束していたんです。今日は「たろう」は教室にいました。みんな握手して帰りました。
図工は、造形遊び。教室(会議室)を新聞紙だらけにして楽しみました。

夜明け前のシリウス
貨物列車の遠い踏切
名残惜しく金木犀の
後ろ姿に歌を詠む秋

かいた汗に報われず
己が愚かさ誰責められず
かけられた言葉に
ほろりほろりと ほろりほろりと
悔しさ口惜しさ
ほぐされたこともあった。
ほぐされて形を変えて
血やら骨やら心やら。
歩んできた足跡で
交わった温もりで
人はできている。

2012.10.18

20121018.jpg新聞紙の部屋。最初と最後はね転がります(10/17)若松孝二監督が亡くなったことを知りました。遺志継いでいく一人でありたいと思います。一つの時代は終わらない。新たな作品、新た抵抗が、現れる。

石巻ボランティア撤退。跡担う人探し。帰り道、バイク。スピード出す。急に狭くなる。渋滞。雪が積もる本町。女性が、割り込む宅配便トラックを押す。トラックと女性がシホロカベツ川に落ちる。...という今朝の夢。

2012.10.19

20121019.jpg教室(10/19)夕方から宮城県大崎市古川合同庁舎横から「原発なくせ、再稼働反対」のアピール行進。
ジャンベ同士合わせるの久しぶりです。デモジャンベ歴も長くなりましたが、誰かと合わせるのって機会が多くないです。首都圏に行けばそうでもないかもしれません。仙台でも合わせる機会はできてきましたが、古川で合わせられるとは! とても嬉しいのでした。tさん今後ともよろしくです。

夜明けのしんとした日曜日
ダンゴムシが凍える石の上
茎が折れてもコスモス笑い
キャベツ手のひら空に開く
コオロギはもう卵の中だよ
冬色の鳥の群れが着陸する
ゆっくりと音もなく日曜日

2012.10.20

20121020.jpg南相馬(10/20 南相馬(10/20)清流でyちゃんに会う。それぞれに岩を登る。yちゃんは小学校以来だ。やんちゃの代名詞。悪いこといっぱい。学校行かず迎えに行った。タバコお酒エロ本違法無線。沢を登ったところに温泉。四角いコタツ状の湯舟に樹々が美しい。底に龍。恐ろしくない。そこで彼がぽつりと「結婚することになった」と言う。「おめでとう」と返す。深い友情感じて顔見上げると、当たり前だが大人の顔だった。という夢を今見た。夜は静かだ。

今日は、父さんが北海道から来る日。トラで仙台空港に迎えに行きました。空港に迎えに来るのはいつぶりか思い出せない感じでした。空港で昼食を簡単に済ませて、津波被災地を辿る旅です。以前から来たいと言っていた父さん。今回、頑張って来たんです。

仙台空港からまずは名取市立閖上小学校へ。体育館でボランティアさん方が瓦礫から集めてくれた写真やかばんや位牌...が並べられているところを見ました。閖上の港に行きました。東部道路で南下しました。南相馬に向かうんです。

途中の道の駅で、魚屋さんとお話しました。軽キャンパーのトラに興味ある様子だったので「中、見ますか?」と声掛けたんです。原発のこといっぱい話されていました。原発で潤った町の人たちは避難してもお金もらえるけれど、私たちは何もなかったし何もない。魚は動くから心配。水揚げされて検査通ったものをみんなで分け合って、ちょっぴりだとのこと。トラに貼った「脱原発」を差しながら、本当にそうだよ!と。魚屋さんには利尻昆布が並べてあり、利尻出身の父さんは驚いていたのでした。

南相馬の原町から小高に入り、様子が一変するのは、やはりショッキングです。海沿いに行きました。小学校を覗きました。線量の高い山のほうに上がりました。高村光太郎の詩碑を訪れました。そして希望の牧場の牛くんたちを見ました。みんな寄ってくるんです、牛くんたち。切なくて、謝るんです。ごめんね、牛くんたち。子牛は、一所懸命お乳を飲んでいるのでした。
南相馬から暗い道を北上して帰ってきました。

夜明けの歌
心の奥のほうで 流れる。
私を救済してくれない。
私を変えてもくれない。
ただ 遠くないところで
同じような歩み。
言葉交わずとも、
孤独ではない。

2012.10.21

20121021.jpg雄勝(10/21)父さんと一緒に今日は沿岸部の津波被災地を巡ります。松山町を出て、涌谷、津山、そして志津川。行く度に瓦礫や建物がなくなります。気になるのは釣り人。だんだんと釣りをする人が増えてきましたね。町と海との距離がとても近いことに驚いていました。しかも水面が高い。地震後の地盤沈下もありますが、元々海のすぐそばに町があるイメージが強いですね。

志津川から海沿いに南下します。相川小学校の体育館は片付かないままでした。吉浜小学校は変わらず。そして大川小学校。いつもたくさんの人が訪れている大川小。父さんは訪れる先々で「どうしてこういうところに学校を作ったんだろう」と話します。家が集まるところに町ができ、学校ができるということ。危険とは何かを考える私です。

大川から峠を越えて雄勝へ。雄勝小学校の瓦礫がすっかり片付いていて驚きました。校舎に入ってみました。3.11の黒板のまま。自分自身のあの日が蘇ります。知っている子の名前を見つけました。「あっ、あった!」と声が出ました。かなり切ない気持ち。人生、いろんなことがある。

雄勝から女川へ。このぐにゃぐにゃ道、しばらくバイクでは来ていないですね。バイクで走ると楽しい道。女川の病院から町を見ました。時間がないので原発方面には行きませんでした。渡波を通過して日和大橋を渡りました。門脇小学校を見ました。日和山に上がりました。矢本を抜けて、野蒜へ。暗くなりそうな月浜に行きました。そして松山町に帰宅。

父さんと連れ合いぴよさんと3人の夕飯。春に父さんの孫であるtigerが訪れた場所を、tigerのおじいちゃんは、どのように見たのでしょうか。「何でも見てやろう」(小田実)や「極限の民族」(本多勝一)を私に勧めた頃の父さんは、今の私よりもずっと年下。旅する思春期があったから、今の私がいるということ。感謝ですな。

2012.10.22

20121022.jpg志津川(10/21)夜の公園にいる。周囲から激しいほどの照明を当てられている。明る過ぎて、照明の向こう側・周囲が見えない。うっすらといじめっ子。こちらも気付かぬふりをする。...という夢を見た。

昨晩深夜、奥歯に詰めたもの取れました。今日小学2年生によい歯医者を聞きました。「そこ、優しいですか」と聞いて、みんな答えるに「そこしか知らないからね〜」。な、な〜るほど。ごもっともでした。

そのスキャンダルよりも
大切な伝えるべきことは
大きなおしゃべり声の中
欲望満たさずに捨てられ
事実や歴史や真実や現在
下水道に流され見えない
ああ、私の昨日と一昨日
誰も知らない本当のこと
闇より深い無関心の市街

2012.10.23

20121023.jpg放課後ギター(10/23)北炭夕張新鉱ガス突出事故(1981)坑内注水は10/23のこと。坑内に人がいるのに坑道への延焼避けるために命よりも会社を優先させたこと。あの日、高校からの坂道の途中で、注水を知らせるサイレン。谷間中に響き渡った。黙祷した。大粒の雪が降っていた。忘れない。繰り返さない。
私は夕張北高在学中でした。サイレンと雪、やってはいけないことがなされている感覚、忘れません。若い頃「語り継ぐ」とは太平洋戦争のことと思い込んでいました。けれども3.11被曝以降「語り継ぐ」ことは全てであると知りました。夕張の日々も、地震の日々、被曝の今。

小学2年生の国語。45分の最後の10分は言葉遊びコーナーのこの頃。3文字で最後が「ん」の言葉探し。ふとん、プリン、おでん、よかん、じかん...どんどん書く書く。やがて...ふりん、りこん...と、8歳の語彙の豊かさに驚くことになる。あなたならいかに。

小学2年生とのおしゃべりで、家族の足の話題。「すっぱくさいんだよ」という言葉にみんな和んだのでした。そして「すっぱくさい」をなぜか繰り返し呟きにやつくのでした。

2012.10.24

20121024.jpg放課後ギター(10/23)あ、iPad mini 出たのね。ああ良かった iPhone5 に買い換えなくて(お金出さなくて)...とは言うものの、iPad mini もきっと踏み切らないと思うけど。でも、触ってみたいですな〜

水曜日午後およそ7時
通勤電車のアナウンス
薬師丸越子似の癒し系
マッシュボーイズ響く
隣り女性カバンは蛍光
黒いスーツの重なる中
そこだけ素敵なロック
けれどみんな耳栓だし
扉は閉まって同じ向き
同じ向きに揺れるだけ

月の畔で暖を取る
星の梢で明日眺め
石の隙間密やかに
線香花火の一時の
灯りの白き煙さえ
細き虫も集まろう

2012.10.25

20121025.jpgあやとり(10/25)今日の生活科の時間に、みんなであやとりを楽しみました。私自身は、よくできないんですが、教えるっていうよりは楽しむ機会を作るってことですな。

石原慎太郎は総理大臣になりたいのでしょう。そして戦争する予定でしょうか。私は小学校教員。教え子を戦場に送らないこと、貫きたいです。

2012.10.26

20121026.jpg南相馬の牛くん(10/20)石原慎太郎知事辞任報道まだテレビでも新聞でも見ていませんが、この気持ちのざわつき加減、教育基本法を改悪されてしまったときと似ています。「してはいけないこと」を、勢いつけて時に乗じて一気にされてしまう不安。3.11の夜の気持ちにも似ています。傍観してはならない日々、それが今。

宮城県大崎市古川の脱原発デモは30人程の参加でした。初参加の方いました。来週も金曜(11/02)17:30合同庁舎とイオン古川店の間の公園集合です。昨日は太鼓(ジャンベ)は私だけでした。来週参加できないかもしれないので、どなたかぜひ太鼓持って来てほしいです。

NO more Fukushima 南相馬市小高区を訪れて再認識。 今日地震があればまた、 全国の町で同じ苦しみ広がること。 全国の人が同じ悔しさ重ねること。 誰も望まない。だから、 NO more Fukushima

2012.10.27

20121027.jpg南相馬・開拓十周年(10/20)地震は止められません。けれども原発止められます。しかしながら放射能止められません。今できる全ての対策を打たないで、防災も安全も安心もありません。動かしている原発を止めること。使用済み核燃料からの放射性物質拡散を防ぐこと。福島第一の継続している危機を脱すること。
「2011年3月11日から1年半は被災地といえば東日本のことだった」「あの頃は福島第一だけだったけれど」などというような事態、絶対に避けたいです。地震が続いています、しかも全国あちこちで。
ガンダムの勉強しておきますね。今後ともどうぞよろしくお願いします。仙台で、放射線被曝から子どもを守る会教職員部会に参加し、その後親の会で託児。Twitterだけではなく、顔合わせて会話することって大切ですね。

ずっとずっと雲が覆っていても
そこに青空がある。光がある。
ずっとずっと太陽が照っていても
そこに星がある。夜がある。
休みながら歩く。 歩きながら考える。
生きながらえた私。 小さな命を未来につなごう。
金木犀のほのかな香り。
歌う虫は一匹。 冬ぎりぎりまで歌う虫になろう。

偉そうにしない。
強そうにしない。
賢そうにしない。
どなたの話も最後まで聴き、
それから話し始めること。
誰もやっつけない。
誰も殺さない。
誰も見下さない。
誰も決めつけない。
信じて騙されて落胆しても
とりあえず外の空気を吸うこと やめない。

ウルトラマン
仮面ライダー
スーパーマン
誰にも決して任せない。
僕の人生委ねない。

社長にだって
首相にだって
神様にだって
誰にも決して任せない。
僕の人生委ねない。

恋人にだって
孫娘にだって
愛犬にだって
誰にも決して任せない。
僕の人生委ねない。

こんなまんまじゃ亡霊
今死んだら悔やまれる
心配とやり残しだらけ
生き急ぐというよりも
やるべきこと一つずつ
語り継ぐこと渡すこと

世の中みんなで子育てして
世の中みんなで介護する。
世の中みんなで食べ物作り
世の中みんなで水をくむ。
世の中みんなで火事を消し
世の中みんなで雨しのぐ。
世の中みんなで歌い踊って
世の中みんなで花咲かす。

2012.10.28

20121028.jpgあやとり(10/25)布団の中でゆっくり文庫本を読んでいます。佐藤忠良自伝「つぶれた帽子」中公文庫。p136〈二十数年、大学生を扱ってきて気のついたことは、あまり身体を使わないで育ってしまったのと、失敗をしないように育てられてきた若者の多いことであった。〉

雨が降る
雨の音は
落ちたとき
雨だけでは
響かない
星の引力
空気の響き

大きい声ならば
たくさんの人に届く
とは限らない
何度も繰り返せば
記憶される
とも言い切れない
本当って何
何が本当か
歩きながら
間違えながら
探し続ける
誰かに教わったり
知らせたり
それらは全部ヒント
探し続ける旅
立ち止まること
休むこと度々
けれどもまた歩みを進める

くじらがぷはっと
波間に息をする
人もぷはっと
自分を休ませる
まったりも のんびりも ゆったりも
白波立たぬ海原
筋肉を緩めて
元々の自分を整える
あわてない あわてない

2012.10.29

20121029.jpgフルーツバスケット(10/26)ばい菌とは違うこと。消毒できないこと。死なないし生きてもいないこと。放射性物質は細胞を破壊することがあること。その威力はまだよく分かっていないこと。安全宣言できないこと。 知らない人を見下すことなく、伝えたい。

暗闇連れてくる
猫には顔がない
ニヤリと笑うが
どこにもない口
気圧感じる狭さ
圧縮される皮膚
暗闇つれた猫は
ザラリと舐めた

たくさんの正しさ そうさ、全部正しい
たくさんの間違い そうさ、みんな間違ってる
餌は食べない ごはんをいただく
お金にならない歌を歌おう
休んだり 弾んだり
自由帳のページめくろう

どんどん便利になっていく
ますます薄くなっていく
浅い感動
細い関係
狭い器
目に入る量と耳に入る量が 増える分
心を通過して
残るもの学ぶものが 実らない
考えようとしていても
次の情報が押し出して行く雑踏
温もり 迷い 矛盾
自分が歩んできた歴史に
自負を持って立つ

小林よしのりさんは、東大一直線でファンでした。けれども、ナショナリスト的展開でがっかり。アンチ組織に共感感じますが、「脱原発論」読みながら、いろんなこと考えています。

Twitterとは 残念なことに 「つぶやき」 拡声器持つか アンプ通すか 大きな声には ならないもの ならば みんなで口々 みんなに届ける。 ああ、スイミー 思い出すよ。

ひと眠りして、はっと気付くこと。さっきのアルコールが、密かに確実に横っ腹にひっついていること。それはそれは何食わぬ顔で。でも、復讐するは我にあり。

がっかりを 味わってばかりもいられない。 後悔も悔し涙も反省も 全て明日の糧にする。 しなくちゃこれまで報われぬ。 ピリオドよりは、再起動。 どんどんがばちょドンガバチョ。

左翼というより労働者。 政治より暮らし。 国家より隣人。 物心ついた頃から 歌うのは「頑張ろう」。

2012.10.30

20121030.jpg女川(10/21)海。大きな波。まるで飛行機からみる雲。裸足で飛び込む。波の先に乗る。高度を上げる。水中で呼吸ができる。サーファーというより孫悟空。ぐんぐんスピードをあげ、沖の方まで。岸に戻れるか分からない。大きな温泉施設。チェックアウト迫るけど露天風呂。広い。ゴルフ場。外国からの観光客は入り方分からない。というのが今朝の夢。

大きな月を雲が包む夜
風もないしカマキリも
鳴かないしギターくん
テレビに騙されないさ
思い出してくれあの日
報われない路上の日々
窓開けて放り投げたね
チョコレート少しだけ
聴いてくれるコオロギ
続く旅路に小さな幸せ
大きな月の長い影見る
明後日思い出せるかな

その夜森の中深く
かの音響き渡ると
あの獣たち目覚め
この扉を開けよう
どいつが誰だ
誰がどいつだ
どいつが誰だ
誰がどいつだ
砂漠の入口までも
轟く囁き独りごと

2012.10.31

20121031.jpg大川小学校(10/21)誰もいない学校に住んでいる私。暗闇恐れながら、トイレに水流れている。体育館の裏、歩いていく人に顔はなく「余市に魚いなくなった。だから漁師いなくなった」と歌っている。きっと夜明け前。という夢を見た深夜。

喉痛い風邪。しかし...今日まで送信する約束の原稿、明後日のデモと会議、土曜の脱原発集会、日曜の教育研修会そのレポート、そして月末締め切り諸々学校書類。迷惑掛けている感と不甲斐なさと理不尽と使命感が軋轢になる。いやはや。若くなくなり、健康第一と眠れるようになったことは、成長。
ああ、喉が痛い。風邪と思う。けれども放射能由来を考えてしまう。あのときあそこに行ったから、あれ食べたから、マスクしなかった..。きっと死ぬまでずっと。ある意味呪縛。ひょっとするとビンゴ。私のように自分で自分のこと思うのはまだいい。親として子の命思うことと比べるなら。

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